『想い続けられた五劫』 読む法話 日常茶飯寺 vol.51

 先日、インターネットでたまたま3年前の記事に巡り合いました。

富山県砺波市で仏像等の調査が行われ、珍しい木像の『法蔵菩薩の五劫思惟像』が見つかったというニュースでした。

何を隠そうこの法蔵菩薩とは阿弥陀さまが仏になる前のお名前です。正信偈を読むと3句目に「法蔵菩薩因位時」と出てきますよね。法蔵菩薩は「どんな命もひとつも漏らすことなく必ず救う仏になろう。もしそれができないのなら私は仏にはならない」と誓われました。それから、五劫という途方もなく長い時間、思惟なさった、つまりお考えになられたと説かれます。

「劫」とはいったいどれくらいの長さであるか、仏典には気の遠くなるような例えで説かれます。一辺が160キロメートル四方の岩があったとして、100年(3年という説もあります)に一度、空から天女が舞い降りてきて羽衣の袂で一度だけその岩を擦っていく。それを何度も何度も果てしなく繰り返していくと、やがて袂の摩擦によってその岩が一つ消滅しても一劫に満たない、というのです。それを五倍したのが五劫ですから、いっそのこと「永遠」と言ってしまった方が近いような気がする、法蔵菩薩はそれほど途方もない長い時間をかけて「全ての命を救うためにはどうすればよいか」を考え抜かれたのです。その末に導き出されたのが『南無阿弥陀仏』という言葉で救う、ということでした。

 全ての命を救うということは、救われるはずのない命こそ必ず救うということです。これを親鸞聖人は「法蔵菩薩が五劫もの間悩んでくださったのは、ひとえに私一人を救うためでした」とお喜びになられたのです。

その法蔵菩薩の五劫思惟像が見つかったという記事には像の写真も添付されていました。ご興味があられましたらインターネットで「砺波市 法蔵菩薩」と検索すると見ることができます。私はその法蔵菩薩のお姿に驚嘆して言葉が出ませんでした。あまりに長い時間悩み続けられたそのお体は、あばら骨が浮き出るほどに痩せ細り、頬はこけ、目は落ちくぼんで…だけど、口元に微笑みを浮かべていらっしゃるのです。憔悴し切った極限状態にありながら、幸せに満ちたお顔をされているのです。

法蔵菩薩にとって、救われるはずのない命を前にして悩み抜いた五劫という時間は身を引き裂かれるような思いで過ごされた時間であったはずです。けれど、どれだけ時間がかかっても、どれだけ傷ついても、この私の命を諦めることができなかった慈愛の極まり、まさに「大慈悲」としか言いようのない微笑みの表情に、込み上げてくるものがありました。

 そして先日、そのお心を味合わせていただいたことがありました。

我が家の長男(小四)と次男(小一)は少年野球チームに在籍させてもらっています。そのチームで先日、卒団式がありました。卒団式とはその名の通り、6年生の児童がチームを卒業する式です。その卒団式のプログラムの中に、子から親へ、親から子へ、手紙を読み合う時間があります。

この度卒団した6年生の児童たち全員が、「決して楽ではなかった野球生活を乗り越えてこられたのは保護者のサポートがあったからだ」という感謝の想いをそれぞれの言葉で手紙に綴っていました。けれどその想いはあまりに大きすぎて、手紙から溢れ出し、熱い涙となって彼らの頬をつたい、彼らを育んだグラウンドに沁みわたっていきました。

それに対して保護者の手紙には、我が子の成長の喜びや最後までやり遂げたことを讃える言葉だけでなく、誰にも知られることのなかった苦悩や葛藤などが書かれていて、保護者もまた言葉に詰まりながら我が子へと手紙を読まれます。

この度卒団した児童の中にS君という男の子がいました。S君は努力に努力を重ねて、チームのエースであり打率王、そして下級生からの憧れの存在でもありました。

そのS君へ、S君のお母さんが手紙を読まれました。その中でお母さんは「一番の思い出ってたくさんあるけど、一つを挙げるとするなら…」という前置きをされて、次のようにおっしゃいました。

「3年生の時、初めてピッチャーで試合に出ることになって。その試合の前日は一生分の緊張をしたんじゃないかってくらい緊張していましたね。1試合目はチームのみんなに支えられてなんとか勝てました。けれど2試合目、まったくストライクが入らなくなってワイルドピッチ(暴投)の連続。結果、試合は負けてしまいました。あの日の帰り、車の中で二人で大泣きしましたね。」と涙ぐみながら語られたのです。

 私が特に感動したのは、一番の思い出が選べないほどたくさんある中で、お母さんがこのエピソードを選ばれたことでした。S君たちの年代のチームは強くて、今まで優勝したことがなかった大きな大会で初優勝という、チーム史に残る快挙を成し遂げたこともありました。

けれど、S君のお母さんが一番の思い出として選んだのは優勝した思い出でもなければ、打率王になった思い出でもなく、試合に負けて車内で一緒に大泣きした思い出だったのです。

この時S君は、ストライクが入らなかった悔しさから大泣きしたのだと思います。ではお母さんはどうだったでしょう。きっと、お母さんはストライクが入らなかった悔しさで泣かれたのではないと思います。お母さんがなぜ一緒になって大泣きなさったのか。それはS君の悲しみを共に背負ったからではないかと思うのです。

S君の喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しむ、そうやってS君と共に歩み、S君を想い続けたあの時間こそがお母さんにとっての幸せそのものであった。勝ったことより、打率王になったことより、身を引き裂かれるような思いの中でS君を想って大泣きしたあの時間を、お母さんは一番の思い出に選ばれたのです。涙ぐむお母さんだけど、その口元にはやはり微笑みが浮かべられてありました。

「努力は報われる」

そうなったらいいけれど、人生はそんな簡単じゃない。そう痛感していかねばならないのが人生でしょう。幾度となく壁にぶつかり、挫折も味わう。自信を失い、自分を信じてあげることができなくなることもあります。けれど、その自分を信じ続けていてくれる人がいる、慈愛を注ぎ続けてくれる人がいる…その計り知ることなど到底できるはずもない、あまりに深くあまりに温かい慈愛に出遇うことこそ、人生において最も大切なことではないでしょうか。

苦しみや悲しみを縁として自分が大きな慈愛の中にいたと知らされた時、その苦しみも悲しみも無駄じゃなかったと人生そのものに頷きが与えられていくのです。

「どれだけ涙を流しても、どれだけ傷ついても、あなたの命を想い続けた五劫という時間は何よりも幸せな時間だったのよ」と、私に注がれ続けた法蔵菩薩の微笑みと涙が「南無阿弥陀仏」この一声のお念仏となって私に届いているのでした。

合 掌

(2024年3月12日 発行)