『ブッダの最期』 読む法話 日常茶飯寺 vol.50

 2月15日といえば何の日だかご存じでしょうか。実は2月15日はお釈迦さまが亡くなられたとされる日なのです。正式には「亡くなられた」とは言わずに「涅槃に入られた」と言ったり、「入滅」と言ったりします。これはどちらも「煩悩の炎が完全に消え去った悟りの境地へ入られた」という意味です。

 偉大な宗教者と言えば、壮絶な死を遂げていたりします。たとえば、イエス・キリストは十字架に磔にされて亡くなった、というのは有名な話です。

では、お釈迦さまはどうでしょう。意外とお釈迦さまの死因というのは知られていないかもしれません。

お釈迦さまがなぜ亡くなったか…

それはなんと…、なななんと…!

食中毒なのです。

お釈迦さまはいたって平凡に最期を迎えられました。けれど、そこに大切なエピソードがあるのです。

 お釈迦さまがおられた2500年ほど昔、インド北部のパーヴァーという町に鍛治工の息子であるチュンダという青年がいました。ある時お釈迦さまやお弟子さま方がチュンダの住む家のすぐ近くまで来ておられたので、チュンダはお釈迦さまに会いに行って言いました。「お釈迦さま、明日の朝ぜひ我が家にお越しください。食事を振る舞うことをお許しください」と申し出ました。

お釈迦さまは「ありがとう、チュンダよ」と承認されました。

その夜、チュンダはせっせと食事の準備に取り掛かりました。家に来られるのはお釈迦さまだけでなくお弟子さま達もいますから、大人数です。そしてお釈迦さまはその当時、御歳80歳のご高齢ですから、チュンダは美味しくて柔らかい料理をたくさん用意することを心がけました。そこにはたくさんのキノコ料理(豚肉料理という説もあります)もありました。

 そして翌朝、約束通りお釈迦さま一行はチュンダの家にやってきました。お釈迦さまは用意された席に座るや否やチュンダに言いました。

「チュンダよ、私はそこにあるキノコ料理(豚肉料理という説もあります)が食べたい。なので弟子達にはそれ以外の料理を食べさせてやってください。そして残ったキノコ料理は弟子や他の人には食べさせず土に埋めなさい。」

チュンダは「はい、かしこまりました。」と言って、キノコ料理をお釈迦さまに出し、弟子達には他の料理を振る舞いました。大人数分のキノコ料理ですから、当然お釈迦さま一人で食べきれるはずもなく残ります。チュンダは言われた通り、残ったキノコ料理を土に埋めました。

食事を終えたお釈迦さまはチュンダに直々に法話をしました。チュンダは感激し、お釈迦さまに礼拝しました。そしてお釈迦さまと弟子達はチュンダの家を後にしました。

その直後、死に至るほどの激しい腹痛と出血を伴う下痢がお釈迦さまを襲いました。そうです、キノコ料理を食べたことによる食中毒です。もしかしたら毒キノコだったのかもしれません。

けれどもお釈迦さまは、肉体的には苦痛を感じていたけれど、そのことで悩んだり、「このまま死んでしまうかもしれない」などと不安になることはありませんでした。むしろ、チュンダの家に赴いて「そのキノコ料理が食べたい」とおっしゃったあの時、「このキノコ料理を食べて涅槃に入ることになる」と分かっていて召し上がられたと言われています。

お釈迦さまはキノコ料理をいただいたというよりも、チュンダの誠意を合掌していただかれたのです。

 しばらく肉体的な苦痛に耐えておられたお釈迦さまは側にいた弟子の阿難に言いました。

「さあ阿難よ、旅を続けよう。クシナガラに向かおう」

そしてお釈迦さま入滅の地、クシナガラに向けて最後の旅に出られたのです。

ところがその旅の途中、お釈迦さまが阿難に言いました。

「私はもうじき涅槃に入ることになるが、その後誰かがチュンダを責めるかも知れない。

『お前の食事のせいでお釈迦さまが死んでしまったではないか。なんてことをしてくれたんだ。お前のやったことに功徳などあるわけがない。お前は仏教徒失格だ!』と。
また、チュンダ自身がそのように思って後悔の念に苦しむかもしれない。阿難よ、すまないがチュンダに伝えてくれ。」

そう言ってお釈迦さまはチュンダに向けてこうおっしゃいました。

「友よ、あなたが施してくれた食事は私の生涯最後の尊いお供養でした。私はあなたの食事によって完全なる悟りの境地、涅槃に入るのです。だからあなたの施してくれた食事には計り知ることのできない大いなる功徳がありました。有り難う、チュンダ。有り難う…」

そして、「チュンダの後悔の念を取り除くように」と、重ね重ね阿難に申されたのでした。

 そしてクシナガラの地でいよいよ動けなくなったお釈迦さまは、岩の上で頭を北に、顔を西に向けて横になられ、お弟子さま達に最後の説法をされました。

「自らを灯とし、よりどころとして、他を灯とすることなかれ。法を灯とし、よりどころとして、他を灯とすることなかれ。人生は無常であるから、怠ることなく勤め励めよ。」

自分の人生は誰も代わってはくれない。一人ひとりが仏法をよりどころとして、私(お釈迦さま)が残した言葉の数々(お経)をよりどころとして生きていくのですよ、と最後まで周囲の人を悟りに導くために法を説き続けられました。

そして80年にわたる生涯に幕を閉じ、涅槃に入られたのでした。

お釈迦さまが生涯にわたって残されたお言葉は2500年の時を経た今も生き続けているのです。

 今生きている私たちは、当然死んだことがありません。どんなに身近な人の死に触れる機会があっても、それは死を外側から見ているだけで死が何であるかを理解することはできないのです。目には見えないけれど確実に迫り来る得体の知れない死に、私たちは恐怖や不安を感じたり、見ないようにして生きています。

けれど、悟りを開いたお釈迦さまは生が何であるか、死が何であるかを完全に理解した方です。そのお釈迦さまが「私が残した言葉をよりどころにしなさい」とおっしゃったそのお言葉は、他の誰かに向けられたものではなくて、2500年という時を超えてこの世に生まれ、やがて死んでいかねばならないこの私自身に向けられた優しさではなかったかと思うのです。

合 掌

(2024年2月8日 発行)