『きわのない温もり』 読む法話 日常茶飯寺 vol.49

「サンタさん、どうか僕に合格の二文字を」

 ある受験生がクリスマスの時期にインターネット上にそんなメッセージを投稿しました。そんなことを嘆いてもどうにもならないことは、それなりに人生経験を重ねた彼はきっと百も承知なんだけれど、それでも吐き出さずにはいられなかったこの短い文章に、彼の受験にかける思いの深さと、今にも押し潰されてしまいそうな大きな不安が垣間見えるような気がします。

その彼の気持ちに応えるように、「合格!」「応援してる」「頑張って」など、180件にものぼる応援メッセージが数ヶ月にわたって投稿されました。そして春になった頃、再び彼がメッセージを投稿したのです。

「皆さん、温かい応援メッセージをありがとうございました。結果は、残念ながら不合格でした。通ってる予備校に張り出される合格者数の数字に僕も「1」として加わるのが夢だったけど…叶いませんでした。

僕のところにサンタは来なかったけど、皆さんからもらったメッセージの一つひとつを読み返していると、合格不合格よりも大切なものがあるんだなって思えました。だから、来年も頑張ってみようと思います。」

 恥ずかしながら私は、塾や予備校に張り出された合格者の数字を見て「わぁ、ここはこんなにも合格者を輩出しているんだなぁ」と感心するばかりで、不合格者のことを想像したことは一度もありませんでした。

合格者がいれば、必ず不合格者がいる。そんなことはあまりに分かりきったことのように思うのですが、スポットライトが当てられた数字にだけ注目して、その数字の裏側に、夢破れて人知れず涙を流した人たちがいるんだということを考えたこともなかった自分を恥じたことでした。

 そしてこれは受験に限ったことではなく、日常のどこにでも潜んでいる問題だと思うのです。

私たちは無数の線引きの中で生きています。いつだってスポットライトを浴びるのはその線の内側にいる人だけで、線の外側にはじかれてしまった人はただ人知れず涙を流しているのです。

これはどこかの誰かの話ではなくて、私はまさにそうやって無数の線引きに縛られてがんじがらめになって生きてきました。自分より線の外側にいる人を見ては優越感に浸ったり、不安に押し潰されそうになったり、絶望の淵で涙枯らしたり…

けれど、受験生の彼は言いました。「合格不合格よりも大切なものがあるんだなって思えました。」と。彼にとって顔も名前も知らない人たちからの180件にものぼる応援のメッセージは、まさに線引きのない温もりだったのです。合格でも不合格でも揺らぐことのない温もりに出遇った彼は続けてこう言いました。

「だから、来年も頑張ってみようと思います」

これは「不合格だから来年も頑張る」と言っているのではないのです。「合格でも不合格でも揺らぐことのない温もりに出遇えたから、来年も頑張ってみようと思えた」と言ったのです。

線引きを超えた温もりに出遇うことは、どうしようもない絶望の中で力強く一歩を踏み出す力になってくださるのだと受験生の彼に教わりました。

 阿弥陀さまのお徳を表す「無辺光(むへんこう)」という言葉があります。親鸞聖人はそれを「きわもなし」と述べられ、喜ばれました。これは「線引きをしない仏さま」ということです。どんな命にも絶対に線引きをしない。それがどんなに途方もなく険しい道であったとしても、地獄の苦しみを味わおうとも、あなた一人の命を見捨てることのない仏になる、と立ち上がってくださったのが阿弥陀さまです。

阿弥陀さまこそ、線の外側で人知れず絶望に打ちひしがれる私たち一人ひとりの悲しみに気づいてくださった仏さまです。

私の悲しみに共に胸を痛め、私の悲しみに涙を注ぎ、私の悲しみを共に背負ってくださる仏さまです。

線引きを超えて私の命を包み込んでくださっているのが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。

そしてそれは、決して思い通りにならないこの人生に力強く一歩を踏み出す力をくださる大きな大きな温もりなのです。

そのお念仏を一人でも多くの方にお伝えできるよう、今年も精一杯この日常茶飯寺を発行してまいります。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

合 掌

(2024年1月 5日 発行)