『人が人を想う心』 読む法話 日常茶飯寺 vol.48

 新型コロナウイルスが初めて中国で確認されたのが、2019年の12月のことでした。当時は対岸の火事のような感覚で呑気にニュースを見ていましたが、あれよあれよと言う間に世界中が「コロナ渦」に突入していき、あれから4年が経ちました。

この4年間、ものすごいスピードで世の中が変わっていきました。「三密を避けましょう」と言われ、あらゆる行事が中止、または縮小されていきました。例にもれずお通夜、お葬式、法事、法要も縮小せざるを得ませんでした。

そんな4年間の中で私は、人知れず涙を流された方々に触れてきました。それは、親しかった人の死を知らなかった、という涙でした。縁あって同じ土地に住み、何十年も地域の活動を共にし、道端で会えば井戸端会議に花が咲いた。苦楽を共にしてきた人が、実はもうこの世を去っていた…と知らされた時の虚脱感というのは、言葉では言い表せるものではありません。「せめて最後に一目だけでも会いたかった。ただ一言、ありがとうと伝えたかった」と流された涙に私は何度も胸を締め付けられたし、これから先何十年経っても、コロナ禍を振り返った時に思い出すのはあの方々の涙だろうと思います。

急速に色々なことが縮小、簡略化されていく中で、「人が人を想う」ということまでもどこかに置いてきてしまったような気がするのです。まさにこの4年間で、人と人との距離が離れてしまったような気がしてならないのです。

 私たち人類の祖先にネアンデルタール人がいます。

彼らは今から5〜6万年前、ユーラシア大陸に生息していました。洞窟に住み、石を加工して道具を作り狩猟をする、とても原始的な生活をしていたそうです。

1960年代にアメリカの考古学者R・S・ソレッキ博士がイランでネアンデルタール人の化石を発見しました。そして驚いたことに、その化石の周りにノコギリソウやヤグルマギクなどの花の花粉が大量に発見されたのです。周辺に比べて化石の周りだけ極端に花粉の量が多いことと、彼らがノコギリソウやヤグルマギクを薬草として重宝していたことから、ソレッキ博士は「ネアンデルタール人は死者を悼む心を持っており、副葬品として死者の遺体に花を供えて埋葬する習慣があった」との説を唱えました。

文字もなく、宗教もない時代に生きた彼らの暮らしぶりは私たちには全く想像もつきませんが、愛する人を亡くした悲しみの中で遺体に花を供えた彼らの姿は、なんとなく頭に浮かんできます。それはきっと、5万年という時を隔てても、時代も何もかもが変わっても、「人が人を想う」という心は変わらないということでしょう。決して避けることのできない生死の現実を前に戸惑い、考え、花を供えた彼らの心には、私たちと同じ「宗教心」と呼ぶべき心があったのです。

 それから5万年もの時を越えて、2023年。私は、その宗教心が今もなお私たちの中に生きていることを実感させられたご縁がありました。

 今年の9月1日に往生した西福寺前坊守のお葬式でのことでした。お葬式の間、我が家の長男(小4)はしんみりとした表情でじっと座っている隣で、次男(小1)と三男(年中・4歳)はキャッキャ言いながらじゃれあっていました。長男はさすが一番年を重ねているだけあって、おばあちゃんが死んだからお葬式をするんだという一連の流れを兄弟の中で最も理解していたように思います。次男と三男にとってはおばあちゃんの死とお葬式が繋がらないのです。

ところがお葬式が終わり、出棺の時になって司会の方が「それでは最後のお別れです。」とおっしゃったその時です。さっきまで笑顔でキャッキャ言っていた次男の表情が一変し、嗚咽を漏らすほどに泣き出したのです。そしてその次男に触発されて三男もわんわん泣き出したのです。

そして3人ともが前坊守の棺桶に花を供え、合掌して「おばあちゃんありがとう、ありがとう」と前坊守に声をかけていました。

 私は、彼らのその姿に驚きました。

なぜなら、周りにいた大人達は誰も彼らに「合掌しなさい」とも、「お礼を言いなさい」とも言っていなかったのです。彼らは自発的に合掌をして、感謝の言葉を述べていたのです。

初めて直面する身近な人の死に彼らは戸惑っていました。前坊守が往生してからお葬式までの4日間、彼らは毎朝「おばあちゃんにおはよう言ってくる」と言い、毎晩「おばあちゃんにおやすみ言ってくる」と言いました。時折思い出したように「おばあちゃん見てくる」と言いました。「もしかしたらおばあちゃん、起きてるかもしれん」と何度も期待しては打ち砕かれて戻ってきました。長男は折り紙で心臓を作って前坊守の胸の上に置きました。そうすればおばあちゃんは目を開けてくれるんじゃないかと思って…。

そして迎えたお葬式。彼らはその4日間で、死別の厳しさを彼らなりに学んだのでしょう。その結果があの合掌だったのだと思うのです。

私は彼らに、お勤めする時はまず最初に合掌するということは教えてきましたが、その意味を教えたことはありませんでした。彼らの中でそれが宗教行為であるという意識もなかったと思います。

お葬式のお勤めが始まる時に彼らが合掌をしたことには驚きません。それは教えられたことですし、いつもしていることです。けれども、死んだおばあちゃんに感謝の思いを持って合掌をしたことは、誰かに教えてもらったことではなく、彼らが自発的にしたことなのです。

生死を超えて人が人を想う心、まさに「宗教心」と呼ぶべき心は人間一人ひとりに備わっているものなんだ、と痛感させられたご縁でした。

 そして、宗教とはそういう心に応えるものでなければならないと思うのです。

宗教とは決して、お金が儲かるとか、病気が治るとか、願いが叶うとか、私たちの都合の良い未来を実現してくれるものではないと思います。たとえ都合の良い未来を実現できたとしても、誰しも必ず死ぬ時がくるのです。

その生死の問題の解決こそ、私たち人類が太古の昔よりずっと求めてきたものなのかもしれません。

親鸞聖人が命をかけて求めていかれたのは「生死出づべき道」でした。そして、生死を超えてあなたの命を必ず救うという阿弥陀さまの大きな大きな温もりに、いつまで生きても、いつ死んでも私の命は大丈夫なんだと聞かせていただくのが浄土真宗であったと示されたのです。

今年もこの日常茶飯寺を皆さまが読んでくださることを励みにしながら、なんとか毎月発行することができました。有り難うございました。また来年も親鸞聖人が示された浄土真宗のみ教えを私なりに書かせてもらえたらと思っております。どうぞよろしくお願い申しあげます。

合 掌

(2023年12月 8日 発行)