『すべてが縁となって』 読む法話 日常茶飯寺 vol.47

 早いもので、西福寺でも報恩講をお勤めする季節になりました。今号は報恩講について書きたいと思います。

 報恩講がいつから始まったのかというと、永仁二年(1294年)、親鸞聖人の三十三回忌の年にあたる年でした。この時に親鸞聖人のひ孫にあたる覚如上人が親鸞聖人のご遺徳を讃える『報恩講私記』という書物をお書きになり、法要で拝読なさったことが始まりであると伝えられています。

 その報恩講私記の冒頭にある一文をご紹介します。

弟子四禅の線の端に、たまたま南浮人身の針を貫き、曠海の浪の上に、まれに西土(印度)仏教の査に遇へり。ここに祖師聖人(親鸞)の化導によりて、法蔵因位の本誓を聴く、歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。

 この文章を声に出して読んでみると、何やらただごとではないようなものものしい雰囲気を感じます。

これを私(住職)なりに現代語に訳してみました。

私がこうして人間として生まれてくることができたのは、宇宙から垂らした糸が、地上にある針の穴を通るほどに稀なことであります。そしてその私が、インドでお釈迦さまが説かれたこの仏教の教えに出遇うことは、広大な海で一切れの浮木に出遇うようなものであります。ここに今、親鸞聖人のおかげにより、この私をそのまま救うというお念仏の教えに出遇うことができました。喜びは胸に満ち溢れ、お念仏を拠り所とすることを肝に銘じます。

 仏教を学んでいると、人間として生まれてくることはものすごく稀なことであり、その中でも仏教に出遇うことは更に稀なことだ、という表現が時々出てきます。私はずっとこの話を「確率」の話だと思って聞いてきました。

宇宙全体から見ればごくごく小さなこの地球という星にさえも、数えきれないほどの生き物が生存しています。動物、魚、虫、植物、微生物…その中で人間に生まれるというのは、宝くじが当たるどころではない確率だろうと思います。そして、その人間の中でも仏教に出遇うとなると、さらにものすごい確率です。

そんなものすごい確率のことがあなたに当たったんだから、喜びましょう!と言われてるような気がしていたのです。けれど、「喜びましょう!」と言われて「ハイ、わかりました。やったー!」というのはなんか抵抗があります。だって、喜びというのは私自身の内側から湧いてくるものであって、決して他者から強要されることではないはずだからです。

ましてや、これを確率の話だと捉えると、命を「当たり」と「ハズレ」の二つに分けているような不快感があります。人間として生まれ、仏教に出遇えた自分を「当たり」、そうでない命の数々を「ハズレ」と分けて、「よかったね」と喜ぶなんてあまりにも勝手すぎる話ですし、仏教の精神からもあまりにかけ離れています。

確かにものすごい確率で人間に生まれ仏教に出遇ったのでしょうけど、それが私の中でどうしても喜びには結びつきませんでした。

これはどういうことなんだろうかと、ずっとモヤモヤしていましたが、近頃これは「確率」の話をしているのではなくて、「縁」の話をなさっているのではないかと思うようになりました。


 例として、今や「世界のキタノ」として名高いビートたけしさんのお話をご紹介します。

 たけしさんのお母さんは「さきさん」という方で、とても教育熱心な方だったそうです。三男のたけしさんはそんな環境を窮屈に感じ、教育熱心なさきさんから一日でも早く解放されたいと思いながら青春時代を過ごし、せっかく入学した大学もさきさんに内緒で辞めてしまいました。

大学中退後、アルバイトを転々とする中で演芸場などの舞台に出るようになるとめきめきと頭角を現し、ついにはテレビにも出演するようになり、どんどん人気を獲得していきました。

そして、テレビでも引っ張りだこになったたけしさんの月給が100万円を越えるようになった頃です。

さきさんから電話がかかってきました。

「あんた、テレビに出てるね!金稼いでるのか?小遣いくれ!」とお金を求めてくるのです。

それ以来、2、3ヶ月おきに電話で「小遣いくれ」と請求してくるようになりました。そんなさきさんにたけしさんは「この因業ばばぁめ!」と悪態をついていたそうです。

それがずーっと続いて随分と年月が経ち、

92歳になったさきさんは病を患い、病院に入院していました。お見舞いに訪れたたけしさんに対して相変わらず憎まれ口を叩くので、たけしさんは「なんだ、元気じゃねぇか」と思ったそうです。

けれどその帰り際、たけしさんのお姉さんからたけしさんに紙袋が渡されました。

聞けば、さきさんが「たけしに渡してくれ」と頼んだというのです。

帰りの電車の中で受け取った紙袋の中を見ると、一冊の貯金通帳が入っていました。しかもその名義はたけしさんの名前になっているのです。

その通帳を開いてたけしさんは仰天しました。

「小遣いくれ」とせびられて嫌々ながら渡してきたお金が、一円も手をつけられずにすべて貯金してあったのです。それだけではありません。さきさんは自分の年金からも少しずつその通帳に貯金していたのです。

芸人というのはいつ収入がなくなってもおかしくない。そんなたけしさんが路頭に迷うことがないように、さきさんは嫌われてでも「小遣いくれ」と言い続けて貯金してくれていたのです。

さきさんの憎まれ口も、「小遣いくれ」というお金の無心も、すべてはたけしさんを思う母親の大きな愛情であったと知らされたそうです。

 たけしさんがさきさんの大きな愛情に出遇えたのは、決して「運が良かったから、当たり!」というような確率の話ではありません。

むしろ、たけしさんは生まれた時からずっとさきさんの愛情の中にいた、と言っても過言ではないでしょう。ずっとその愛情の中にいながら、その愛情に気付くことができなかったのは、運が悪いからではないはずです。あまりに近すぎて見えないのです。当たり前のことほど感謝を忘れるのが私たちなのです。その原因は運の悪さではなく、本当に大切なことに気付くことができない自分自身の愚かさにほかなりません。

どれだけ富を築いても、どれだけ仕事で成功しても、どれだけ名声を得ても、自分の力では永遠に大切なことに気付くことが出来ないのが私たちなのです。あえて確率で言うならば、0%です。その私たちが本当に大切なことに出遇うという、あり得ないことが起こるのです。それはなぜか。それが「縁」でしょう。

たけしさんの話で言えば、さきさんの憎まれ口も、お金の無心も、教育熱心な母を疎ましく思っていた青春時代も、大学を中退したことも、芸能界に飛び込んでいったことも、人生のすべてが縁となってさきさんの愛情に出遇わせたのです。逆に言えば、人生の中で何か一つでも違っていたら出遇うことはなかったのです。遇うべきものに出遇ったとき、波瀾万丈の人生、辛いことも苦しいことも、全部ご縁だった、無駄なことなど一つもなかったんだと、喜びに転じられていく、まさにそれを説いてくださったのが仏教なのです。

 報恩講私記の文もまさに確率の話をしているのではなくて、私が今お念仏に出遇っている、それは親鸞聖人の存在なしには決してあり得ないことであったという感動を述べておられるのです。

 私自身も浄土真宗の寺の生まれで、幼い頃からお念仏がすぐそばにありましたが、そのお念仏が有り難いなどと微塵も思わずに育ってきました。「お坊さんなんてならへん!」とさえも言い張っていた私が、あらゆる縁の中で育てられ、なぜか今西福寺の住職として、ご門徒の皆さまにお念仏の凄さ、有り難さをお伝えしているのです。

 親鸞聖人の存在なしには今の私はなかったし、ご門徒の皆さまとお会いすることもなかったでしょう。そもそもこの日常茶飯寺が発行されることもなかったのです。

 親鸞聖人の恩に報いる「報恩講」。どうぞ皆さま、西福寺にお参りなさり、一緒にお念仏申しましょう。

合 掌

(2023年11月 1日 発行)