『優しさって何やろうね』 読む法話 日常茶飯寺 vol.28
もう今から15年も前のことになりますが、私は教育実習生としてある高校にお世話になったことがありました。実習中、私の指導をしてくださったのは学年主任をされていた50代後半の男性の先生でした。この先生はもう典型的なコワ〜イ先生で、廊下を歩くだけで生徒がピリッとするような、黙っているだけで威圧感がある人でした。
ある時、控え室で私が授業の準備をしていると突然先生が私にこんなことを言いました。
「尾野君。優しさって…何やろうね?」
私は内心「うわ怖!何か怒られるんやろうか…!」と怯えつつ、
「いや〜何でしょうね〜!難しいですね〜!」とあやふやな返答をしました。
ところが、ガッチリと心のガードをしている私の意に反して、先生は静かに過去の思い出話を聞かせてくださいました。
それは先生がまだ20代の頃の話でした。
当時先生は高校3年生のクラスを担任していたそうです。そのクラスの中に1年生の時からずっと成績学年トップの男の子(以下:A君)がいました。A君はずっと、「京都大学に進学したい」という目標を掲げて、塾へも行かずに自分で勉強を頑張ってきました。3年生になっても成績学年トップを独走していたので、いよいよ京都大学も夢じゃなくなってきた、そんな夏休み前の進路相談の時です。
「先生。僕、就職する」
A君が突然そう言い出したのです。
何故だ、と何度聞いても、「やりたいことがあるんです」と言うばかりで、やりたいことが何なのかもハッキリ言いません。
これはどうしたことかと先生は何度もA君の家に足を運びました。
そうする中で見えてきたことがありました。
A君の家庭は母子家庭で、お母さんとA君と幼い弟と妹の4人家族でした。お母さんが女手一つで必死に働いて3人の子どもを育てていたのです。そのお母さんの苦労を一番近くで見ていたA君は、お母さんを楽にさせてあげたいと自分の夢を諦めて就職すると言っていたのです。
先生はとても悩んだけれど、A君自身のためにも家庭のためにも、やはり京都大学に進学した方がいいと進学を勧めたそうです。
先生の必死の説得により、A君は京都大学ただ一校、一学部だけを受験することになりました。
「先生、ありがとうございます!」
「おう、頑張れよ!」
嬉しそうなA君を見て、先生も嬉しく思ったそうです。
それからA君は猛勉強を続けて、ついに京都大学合格を果たしたのです。
よかったよかった、と胸を撫で下ろしていた矢先、また新たな問題が浮上してきました。
なんと、A君の一年分の学費が支払い時限をもう随分過ぎているのに未納だというのです。学費が支払われないと、どんなに成績優秀であっても高校卒業が認められません。ということは、京都大学合格もなかったことになってしまいます。
これは大変だ、と先生はまたA君の自宅を訪問し、「特別に支払い期限を設けますから、どうかこの日までに学費を納めてください。大変なことは重々承知していますが、A君のためになんとかよろしくお願いします。」とお母さんに伝えて帰ってきました。
けれども、その支払い期限になってもA君の学費が振り込まれることはありませんでした。
先生の脳裏に京都大学を受験できることが決まった時のA君の嬉しそうな笑顔が焼き付いて離れません。
悩んで悩んで、悩み抜いた末に、なんと先生は自分の貯金を崩してA君の学費を立て替えたのです。
そのことを知ったA君とお母さんはすぐに学校に飛んできて、「先生、ありがとうございました。ありがとうございました。お金は必ずお返ししますから」と涙を流して何度も何度も頭を下げられました。
「いや、お金はいつになってもかまいませんので。でしゃばった真似をして申し訳ありませんでした。」
帰り際、何度も振り返っては頭を下げるA君とお母さんを見送りながら、「あぁ、これでよかった」と思ったそうです。
お金など返ってこなくてもいい。3年間必死に夢を追い、頑張り続けた少年の夢を叶えさせてやれた。そのことがただ嬉しかった、と先生はおっしゃっていました。
そして桜が咲き乱れる4月、京都大学にA君の姿はありませんでした。
就職の道を選んだA君は半年後に、先生が立て替えてくれたお金を全額返しに来ました。その時も何度もお礼を言って帰ったそうです。
そして先生は最後に私にこうおっしゃいました。
「あれからもう30年が経つけどな、この30年の間に何度も同窓会が開かれた。同窓会に私は必ず出席した。けれどもA君は一度も出席してくれんかった。あのお金を返しに来た日以来、一度も私の前に姿を見せてくれなくなってしまった。
だからな、私は今もあの時のことを後悔してるんや。A君の学費を立て替えたことで、私はA君に一生消えない傷をつけてしまったんじゃないかって。
なぁ尾野君。優しさって、何やろうね?」
先生は教育実習生の私に、そんな話を聞かせてくださったのでした。
その後、私はお坊さんの道へ進んだので教壇に立つことは一度もありませんでしたが、先生は私に人として本当に大切な問いを与えてくださったのだと、今になって思います。
親鸞聖人はおっしゃいました。「私たちには何が善で何が悪なのかを見極める力がない」と。この言葉は私には、教育実習で聞いた「優しさって、何やろうね?」という先生の言葉と重なって聞こえてくるのです。
身近な方が悲しんだり苦しんでいたら、力になってあげたいと思うのが私たち人間でしょう。けれども悲しいかな、私の善意が必ずしも相手にとって善なのかは分からないのです。善意の押し付けは時に相手に迷惑にもなり、傷つけてしまうこともあります。善は見方によっては悪になり、悪は見方によって善にもなり得るのです。何が正解で何が間違いかなんて、誰にも分からないのです。
おそらく喧嘩も戦争も、悪意をもってやる人はいないでしょう。みんな善意を振りかざして争うのです。これを仏教では無明と言うのです。無明とは、真っ暗で何も見えない状態です。何が正しいのか、何が間違いなのかが分からず、自分こそが正しいと錯覚するのが私たちだと教えてくださっているのです。
けれど、阿弥陀さまは知っているのです。私が善悪も、優しさが何なのかも分からないということを。そのことを知った阿弥陀さまは「善悪の区別がつけられる人間になりなさい」なんて他人行儀なことはおっしゃいませんでした。ただただ、「そのまま救う」と、善悪も分からぬありのままの私を抱いてくださっていた。これが南無阿弥陀仏のお念仏なのです。私は常々思うのですが、私たちは誰だって間違います。それでも阿弥陀さまは決して見捨てないと聞かせていただく中で、やっと本当の意味で自分にも他人にも優しくなれる、そんな気がするのです。
合 掌
(2022年4月7日 発行)