『師走に逃げる愚者ひとり』 読む法話 日常茶飯寺 vol.60

 親鸞聖人は阿弥陀さまのことを「逃げるものを追いかけていって救う仏さま」と表現されました。最初これを聞いた時は「へー」としか思っていませんでしたが、そのことを有り難く、頼もしく思ったご縁がありました。

今から11年前の年末のことです。私の兄(姫路市余部区円通寺の住職)から「大きなタンスを買ったんやけど、一人で組み立てれへんから手伝ってくれへんか?」とメールが届きました。

「ええよ!」と兄の家に行って、ああでもないこうでもないと言いながら兄と二人で黙々とタンスを組み立てていました。ようやくタンスの形になってきて、私がタンスの中に潜り込んで作業をしていると、ある瞬間「ゴトン!」と音がして、せっかく組み立てたタンスが崩れました。

なんとその時、重さ7〜8キロあるであろう天板が私の頭をめがけて落ちてきたのです。「ゴッ!」と鈍い音がして私の目の前に星が飛びました。すると頭からツーーーーと頬をつたって滴り落ちてくるものがあるんです。そう、血です。みるみるうちに私の目の前に血溜まりが広がっていきました。男というのは、血を見たらダメなんです。普段はクールな兄も気が動転しながら「こここここここれは救急車呼ぶで」と119番に電話してくれました。

「はいもしもし、消防ですか、救急ですか」と電話口の救急隊の方に聞かれた兄は

「タンスの下敷きです」

と意味不明の返答をしていましたが、救急隊の方はさすがプロです。冷静に「救急ですね」と対応してくださいました。

救急隊の方は、「タオルがあったら傷口をタオルで強く押し当てて待っていてください、すぐ向かいます」とおっしゃいました。

そこから兄は家中のタオルをかき集めてきてたくさん私のところに持ってきてくれました(そんなにいらない)。

タオルを傷口に押し当てながら待っていると、外から「ピーポーピーポー…」というサイレンの音が聞こえてきました。今まではあの音を他人事としか聞いていませんでしたが、いざ当事者になってみると「助かった!」と安堵しました。

救急隊の方がダダダダと家の中に入ってこられて、「ちょっと傷口見せてくださいね!」とタオルをどけて傷口を見られて、こうおっしゃいました。

「なーんや、こんなもんですか」

私と兄が呆気に取られて言葉を失っていると、救急隊の方が「頭を怪我するとね、血がいっぱい出るものなんですよ。でももう血も止まってますし大丈夫ですよ。どうしますか、病院行きます?」とおっしゃるんです。

救急隊の方々は私一人のために赤信号も突っ切って駆けつけてくれたのに、「じゃあいいです」と言うのもなんか申し訳ない気がしたので、「どこでもいいから病院に連れて行ってください」と言いました。

そして連れて行ってもらった病院で消毒だけしてもらって帰ってきた、そんな思い出を毎年、年末になると思い出します。

私はこれまで生きてきた中で、冗談抜きにあの時ほど死を意識したことはありませんでした。広がっていく自分の血溜まりを見て「あぁ、このまま死ぬんか。死ってこんなあっけないものなんやなぁ。」と思っていました。

その当時は長男の了尽が坊守(妻)のおなかにいて、あと2ヶ月で出産予定日という時でしたから、「このまま息子にも会えずに死んでいくんか」と無念でなりませんでした。

本気で死を意識した時、私の口からふとこぼれ出てきたのは、

「ナンマンダブ…ナンマンダブ…ナンマンダブ…ナンマンダブ…。」

ただただお念仏するばかりでありました––––––––

なーんて言えれば素晴らしい美談なのですが、残念ながら現実は違いました。

恥ずかしながら、私の口からは「ナンマンダブ」の「ナ」の字すら出なかったのです。私の頭の中にあったのは「まだあんなことしたかった、こんなことしたかった」とか「あの人に会いたかった」とかそんなのばっかりで、阿弥陀さまやお念仏のことなどすっかり忘れてしまっている私だったのです。

情けないことです。お坊さん失格!と言われても返す言葉もありません。

普段は「阿弥陀さまが…」「お念仏が…」とお話していながら、いざ自分の死を意識した時には、うろたえ、動揺し、混乱し、阿弥陀さまのことなど忘れてしまう私だったのです。結局は自分が一番可愛くて、自分が保たれている時は自分の外側に意識を向けられているけど、いざ自分が保てなくなった時には自分のことしか考えられなくなってしまう私なのです。

はたして私は心から阿弥陀さまのことを信じていると言えるんだろうか。あてにならない自分だと知りながら、自分をあてにすることをやめられない私じゃないか。もしかしたら私には信仰心など無いのかもしれない…と考えさせられた出来事でした。

けれど、私が阿弥陀さまを忘れても、阿弥陀さまが私のことを忘れないのです。

私にとって、ここが浄土真宗の有り難いところです。

阿弥陀さまは私たちに「こうしたら救う」という条件を何一つ課せられませんでした。一つでも条件をつけたなら救われない命が出てくるからです。「信ぜよ、さらば救われん」と言われたなら、間違いなく私は救われないのです。

何も条件をつけないということは「そのまま救う」ということです。信仰心など持ち得ない私であっても「そのまま救う」とおっしゃってくださるのです。そんな仏さま、神さまがどこにいらっしゃいますか。阿弥陀さまの「そのまま救う」と私を喚び続けてくださる声が「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。こんな私が私のままで安心して生きていける教えは、このお念仏の教え以外にはなかったと心底思うのです。

阿弥陀さまのことを信じなくてもいいんですよ、という話ではありません。信じなきゃいけないんです。だけど、どれだけ信じなさい信じなさいと言われても、どれだけ信じろ信じろと自分に言い聞かせても、阿弥陀さまと自分を天秤にかけては自分の方へ振り切ってしまう。そんな私の悲しみを見抜いてくださった上で「だからこそ、そのまま救うんじゃないか」と抱きしめてくださるのが阿弥陀さまなのです。

「逃げるものを追いかけていって救う仏さま」

その「逃げるもの」とは一体誰のことでしょうか。それは言うまでもなく私のことだったのです。

今年もこの日常茶飯寺を読んでくださる皆さまに支えられて、拙い文章ではありましたが毎月発行することができました。有り難うございました。どうぞお念仏と共に穏やかな年末年始をお過ごしください。

合 掌

(2024年12月1日 発行)

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