『浄土真宗は冥福を祈らない!?』 読む法話 日常茶飯寺 vol.39
「ご冥福をお祈りします」
この言葉はお葬式などの場面でよく耳にする言葉ですよね。ところが皆さまご存知でしょうか。なんと、浄土真宗では「ご冥福をお祈りします」という言葉は使わないのです。
先に断っておくと、「ご冥福をお祈りします」という言葉・表現自体が間違っているわけではありませんし、この言葉を使ったからといって、相手に失礼になるとか、そういうことは一切ありません。
ではなぜ浄土真宗が冥福を祈らないのか、そこのところをうかがってみたいと思います。
まず、「冥福を祈る」とは「冥土での幸福を祈る」という意味です。
冥土というのはあの世のこと、死後の世界を意味しますが、その冥土の「冥」という字を漢字辞典で調べてみますと「くらいところ」という意味があるようです。そして土という字は仏教では「世界」を意味しますので、冥土というのは「暗い世界」、もっと言えば、「どうなってしまうか分からない世界」のことを意味します。
つまり「冥福を祈る」とは、どうなってしまうか分からない世界に旅立たれた故人に対して、どうか幸せになってくれよと祈ることです。
けれど、浄土真宗というのは浄土に生まれていく教えです。阿弥陀さまは全ての命をかならず浄土に生まれさせるとお立ち上がりくださった仏さまです。その阿弥陀さまの手によって私たちの命は冥土ではなくて、浄土に生まれていく命であったと聞かせていただくのです。
じゃあ浄土って何なのよ、という話ですよね。
「帰命無量寿如来〜」ではじまる正信偈には浄土は「無量光明土」であると表されます。これは「量ることのできない光明の世界」という意味です。先ほど、冥土とは暗い世界だと言いましたが、浄土はそうではなくて、限りない光の世界なのです。これは一切の苦悩から離れた悟りの世界であることを意味します。
また、浄土は阿弥陀経に「極楽」と表されます。極楽と聞くとどんな世界をイメージするでしょうか。見たこともないようなご馳走やお酒が山ほどあって食べ放題、飲み放題(時間無制限)、体重も血糖値も尿酸値もコレステロールも何も気にしなくていい。好きなことが好きなだけできて嫌なことは何もしなくてもいい…みたいな世界を私は想像していましたが、どうやらそうではなさそうなんです。
阿弥陀経に、極楽は「苦しみがなく、ただ楽だけがある世界」だと示されています。
私たちが思い描く「楽」というのはほとんどが「苦」と背中合わせです。
オリンピック2連覇を果たした体操の内村航平選手が、あるインタビューで「金メダルを獲ってからが地獄でした」と語っておられたのが印象に残っています。
私たちの願望が叶うことが本当の意味で楽なのかというとそうではなく、それは新たな苦をもたらすものでもあるのです。苦の延長線上に見出した楽というのは、結局苦から離れてはいないのです。
楽を求めて、苦に突き進んでいく生き方しかできないのが私たちであり、だからこそ救わねばならないと立ち上がられたのが阿弥陀さまなのです。
その阿弥陀さまの国、極楽には、そもそも苦しみがないと説かれます。苦しみがなく、ただ楽だけがある世界。苦しみがないんだからもはやそれを楽と呼ぶ必要さえもない、ただただ安心の世界とも言えるのかもしれません。大きな大きな安心の中にいたなら、何も必要ないのです。
それはもはや、幸福を祈る必要さえもない世界であったと聞かせていただくのです。
マラソンで、ゴールした人に向かって「健闘を祈る」と言うでしょうか。「健闘を祈る」とは、これからスタートする人、一着になるか最下位になるか、はたまた最後まで走れるかどうかも分からない人、健闘を祈る必要がある人に向けての言葉であるはずです。まさに冥土とは、幸福を祈る必要がある世界なのです。
ところが浄土は命の終着点、ゴールです。本当の楽が何たるかも分からずにずっと苦楽の狭間を永遠の過去より迷い続けてきた命が、やっと還るべきところに還って往かれた、その方に対して幸福を祈る必要があるでしょうか。その別れは悲しいけれど、寂しいけれど、「お疲れさま。よく頑張ったね」と送り出していける世界が浄土なのです。
最初のテーマに戻りますが、なぜ浄土真宗で「ご冥福をお祈りします」という言葉を使わないのか。それは、私たちは冥土ではなく、浄土に生まれて往くんだ。そしてその浄土というのは、幸福を祈る必要もない安心の世界なんだと聞かせていただくからです。冥福を祈る必要がないのが浄土なのです。
じゃあ「ご冥福をお祈りします」と言わないなら、何と言えばいいんだ、と気になるところですが、その前にもう一つ、阿弥陀経にある大切なお言葉を紹介せねばなりません。
それは「倶会一処」、「また会える」という言葉です。
阿弥陀さまは「必ず救う」という仏さまです。「必ず」とは100パーセントです。100パーセントだから、「また会える」と聞かせていただけるのです。
もし阿弥陀さまが99.9パーセント救いますという仏さまだったら、「また会える……かもね」になってしまいます。
阿弥陀経で「また会える」と言い切ってくださったのは、阿弥陀さまの浄土だからこそなのです。
では「ご冥福をお祈りします」と言わずに何と言えばいいか。
例えば
「お悔やみ申しあげます」
「哀悼の意を表します」
「またお浄土でお会いましょう」
など、間柄によってお考えになられてもいいと思います。
弔辞や弔電など、浄土真宗流にしたいと思いがあれば是非ともご相談ください。
合 掌
(2023年3月12日 発行)