『地獄こそが私の住まい』 読む法話 日常茶飯寺 vol.35
早いもので今年も西福寺報恩講の時期となりました。報恩講は親鸞聖人のご法事とも言われますので、今号は親鸞聖人について書きたいと思います。
浄土真宗の書物の中で最も有名と言っても過言ではない「歎異抄(たんにしょう)」という書物があります。
実は歎異抄を書いたのは親鸞聖人ではなく、親鸞聖人の弟子である唯円(ゆいえん)という人でした。唯円は親鸞聖人よりこ50歳ほども年下ですので、親鸞聖人が晩年になってからのお弟子さんです。
親鸞聖人が90歳でご往生された後、「親鸞聖人はこうおっしゃっていた」ということを思い返しながら筆を執られたのが歎異抄なのです。
親鸞聖人という人は多くの書物を残されながらも、自分のことはほとんど語らなかったミステリアスな人とも言えます。そういう点でも歎異抄は、唯円という人を通して親鸞聖人の人間像に触れることができる貴重な書物でもあります。
そこには唯円のまぶたの奥深くに焼き付いて離れなかった偉大なる宗教者、親鸞聖人のお姿が鮮やかに書かれてあるのです。
その歎異抄の第二条にこんなエピソードがあります。
親鸞聖人の晩年、関東のお弟子さんたちが命がけで京都の親鸞聖人を訪ねてきました。危険を冒してまで親鸞聖人に会わねばならなかった理由はただ一つ「本当にお念仏で救われるのか」ということを聞くためでした。
親鸞聖人は関東に20年ほど(42歳頃から63歳頃まで)おられ、その間に多くの弟子が誕生しましたが、親鸞聖人が京都に戻られた後の関東の弟子たちの間ではやはり混乱が生じました。混乱の内容は「本当にお念仏で救われるのか」ということでした。親鸞聖人は確かに「お念仏によって救われる」と教えてくださったが、お念仏を申す身になった今、次にすべきことがあるんじゃないだろうか。「次はこれをしなさい」ということを言わずして京都に戻られてしまったんじゃないだろうか、という混乱です。勝手なことを言いふらす人も出てきて、もう何が本当か分からないほどに混乱を極め、数名のお弟子さんが藁にもすがる思いで京都の親鸞聖人の元へ訪ねて行かれたのでした。
はるばる命がけで訪ねてきた弟子たちを前にして親鸞聖人は
「もしあなた方が、この親鸞がお念仏の他に救われる道を知っているとお思いなら、それは大きな間違いです。もしお念仏の他に救われる道を聞きたいと言うのであれば、奈良の興福寺や比叡山延暦寺に優れたお坊さんが沢山おられますから、そこへ行って聞いてみたらよろしい」
と、一見突き放したようなことを言われます。
ありゃ、親鸞聖人怒ってるんかな?と思えてきますが、きっと終始穏やかに微笑んで語られていたと思います。
続けて
「親鸞においては、ただ念仏して阿弥陀さまにお救いいただくのですよ、とお師匠さまの法然聖人から教えていただいたことを信じているだけで、その他には何もありません。」
とおっしゃいます。
通常、自分のことを話す時は「私は…」と始める場合がほとんどだと思いますが、「親鸞においては…」と仰るところに、誰が何と言おうと私はこうなんだ、という強い意志が感じられます。それと、師匠という立場で上から目線でお答えになるのではなく、訪ねて来られたお弟子さんと同じ目線に立って、一信者としてお答えになっていることもうかがい知れます。
そしてその次にビックリするようなことをおっしゃいます。
「念仏して浄土に生まれるのか、地獄に落ちるのか、私はまったく知りません。」
えぇーっ!うそやーん!!とお弟子さん思ったでしょうね。
しかしそれで終わらないのが親鸞聖人。
続けてこうおっしゃいます。
「たとえ法然聖人に騙されて念仏して地獄に落ちたとしても、私は何の後悔もありません。というのも、何か別の修行をしていれば救われたのに、それをせずに念仏をしたことで地獄に落ちた、というのなら後悔もあるでしょう。でもね、私は比叡山にいた頃、ありとあらゆる修行をやりました。これでもか、これでもかと命削る思いでやりました。やれること全部命がけでやってみて、分かったんです。私はどんな修行も満足に出来ない人間なのだ、何者にもなれない自分なのだ、と。地獄こそが私の住まいであることを知りました。」
ここでもやはり親鸞聖人は穏やかに微笑んでおられると思うのです。
そして最後にこうおっしゃいます。
「でもね、こんな愚か者の親鸞こそを救わなきゃいけないとお立ち上がりくださったのが阿弥陀さまですよ。その阿弥陀さまのことをお説きくださったのがお釈迦さまです。そのお釈迦さまのお言葉を全身全霊をかけてお伝えくださったのが善導大師(中国の高僧)や法然聖人です。阿弥陀さまが真実ならば、お釈迦さまがおっしゃったことも真実であり、それをお伝えくださった善導大師のお言葉も真実であり、それを受け取られた法然聖人が私にお伝えくださったこともどうしてうそいつわりがありましょう。法然聖人のおっしゃったことも真実であるならば、法然聖人から聞かせていただいたままを喜んでいる私親鸞の申すことも、あながち間違いとは言えないでしょう。さぁ、私の信心はこんなところです。お念仏を取るか捨てるか、それはあなた自身が決めたらよろしい。」
やはり親鸞聖人は終始落ち着いて、微笑んで語られていたのだろうと想像します。
このお弟子さんとのやりとりの中で、「念仏して地獄に落ちても何の後悔もない」という言葉や「地獄こそが私の住まい」という言葉に触れる度に私はいつもゾクっとするような感覚を覚えます。ここまで腹の据わった人を私は知りません。
親鸞聖人の信仰というのは、地獄が嫌だから浄土を願うというようなものではなくて、地獄とか浄土とかいうことを突き抜けてしまった感じがするのです。
でも考えてみたら、私たちにとって「救い」というのは、一切の縛りから解放されることであるべきです。地獄が嫌だから浄土を願う、という信仰のあり方は結局は地獄に縛られています。例えば、受験生が志望校の合格を目指して必死で勉強するのは、裏を返せば不合格になったら困るからです。合格通知をもらうまでは受験生は不合格の不安にずっと縛られているのです。
それと同じで、地獄が嫌だから浄土を願うという信仰のあり方も、浄土に生まれるまではずっと地獄の不安に縛られていなければなりません。それは結局苦しみの渦中にいるだけで、救いと呼べるものではありません。
自分を苦しめている一切の縛りからの解放をもたらすはたらきを親鸞聖人は、「阿弥陀仏」と呼び、「浄土」と呼んでおられるのでしょう。浄土とは決して地獄と対の世界ではないのです。
いかなる現実が降り掛かろうとも、たとえそれが地獄であろうとも決して動じることのない狂気にも似た恐ろしいまでの腹の据わりを親鸞聖人にもたらしたのは、他でもない「南無阿弥陀仏」の一声のお念仏。それ以外には何もありません、と親鸞聖人はお弟子さんに優しく語られたのです。
では「南無阿弥陀仏」とは何なのか。私たち一人ひとりの、一度きりの限りある人生において、そのことを聞かせていただく価値は十分にあると私は心の底から思うのです。どうか皆さま、報恩講にお参りいただき、ご一緒に仏法を聞かせていただきましょう。
合 掌
(2022年11月4日 発行)