『お盆の由来』 読む法話 日常茶飯寺 vol.20

 この日常茶飯寺も20号目を迎えました。コロナ禍になり思うように寺院活動ができなくなって、ご自宅でも仏教に触れていただけるように、「この日常茶飯寺を毎月発行します!」と高らかに宣言したのが去年の6月のことでした。最初は月の初めに発行できていたのが、10日頃になり、15日頃になり、とうとう前号は20日の発行になり…このままじゃいかん!と奮起し、今号はお盆前になんとか発行することができました。いつも読んでいただき有り難うございます。

 今月はお盆を迎えますので、今号はお盆について書きたいと思います。

お盆の「盆」というのは実は略称で、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。これは仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)というお経からきています。

盂蘭盆という言葉の意味は「逆さ吊り」という説や「お盆に乗せたご飯」という説があるようです。

この盂蘭盆経にはあるエピソードが説かれています。

 お釈迦さまの弟子に目連尊者(もくれんそんじゃ)という人がいました。

目連尊者のお母さんはとても慈悲深いことで有名なお母さんで、一人息子であった目連尊者はそのお母さんの愛情を一身に受けて育ちました。やがて成長した目連尊者はお釈迦さまの弟子として仏教教団に入りました。

日々勉強や修行に一所懸命に励んでいる中で、とうとう目連尊者のお母さんは年を取り亡くなってしまいました。大好きなお母さんを亡くし、目連尊者はたいそう悲しまれました。それでも、母親の鏡のような、慈愛に満ち溢れたお母さんだったので命終えた今、極楽に生まれているだろうと安心していました。

優秀な弟子であった目連尊者はある時、神通力(じんづうりき:今の私たちの言葉で言うと超能力のようなものでしょうか)という特殊な能力を身につけました。そこで亡くなった母親は今どこでどうしているのだろうと、神通力を使ってお母さんの様子を見てみました。

すると、極楽に生まれたと思っていたはずのお母さんはなんと、餓鬼道(がきどう)で逆さ吊りにされて痛めつけられていたのです。その母の姿は骨と皮の状態になっていました。

この「逆さ吊り」が「盂蘭盆」の由来であるという説があります。

餓鬼道とは、仏教が説く六つの迷いの世界(六道)の一つで、「まだ足りん、まだ足りん」と物を奪い合って他者を傷つけ続ける世界です。

そんなお母さんの姿を見て目連尊者は嘆き悲しみ、取り乱しながらお釈迦さまに尋ねます。

「お釈迦さま。私の母親は誰よりも慈愛に満ちた母親でした。その母親が今、餓鬼道で逆さ吊りにされて痛めつけられているのです。なぜあの母親がそんな目に遭わねばならないのですか」

「目連よ。確かにあなたのお母さんは慈愛に満ちた方でした。でもね、目連よ。あなた一人を大事に育てるということは、あなた以外の人を犠牲にするということでもあるのです。あなた一人に食事を与えたということは、飢えに苦しむ人々を犠牲にしたということでもあるのです。あなた一人に服を着せてくれたということは、寒さに震える人々を犠牲にしたということでもあるのです。あなた一人を育てるために、お母さんは沢山の罪を被ってくださった。お母さんは今、餓鬼道でその報いを受けておられるのです。」

それを聞いた目連尊者はたいそう悲しみました。そして涙ながらにお釈迦さまに尋ねます。

「お釈迦さま、教えてください。どうしたらあの母を救えるのでしょう。」

するとお釈迦さまはこう答えます。

「7月15日にお坊さんたちが勉強会の最終日、自恣(じし)を迎えます。(インドでは4月15日から7月15日までは雨季のため外で修行が出来ないので、屋内で勉強をしていました。その最終日は自恣と呼ばれ、全員が集まって3ヶ月間の反省や懺悔を行います。)自恣には多くのお坊さんが集まってくるので、ご飯、おかずに果物、水、灯り、寝具などを用意してお供えし、そのお坊さん方のお世話をしなさい。多くのお坊さんの力が集まればお母さんを救うことができるでしょう。」

目連尊者はお釈迦さまの言った通り、自恣の日にそれらのものを用意してお供えしました。この時のお盆に乗せられたご飯が「盂蘭盆」の由来であるという説もあります。

目連尊者の懸命なサポートのおかげで自恣に参加したお釈迦さまやお坊さん方、目連尊者までも大いに法悦に包まれ、その功徳によって餓鬼道のお母さんは救われていきました。

目連尊者は心の底から喜び、その喜びのあまり踊り出したそうです。これが盆踊りの由来であるとも言われています。目連尊者はそれから、これまで以上に修行・勉学に励み、やがてはお釈迦さまの弟子を代表する10人の弟子、十大弟子の一人にまでなり活躍していかれました。

これが盂蘭盆経に説かれた目連尊者とお母さんのエピソードです。

さて、このエピソードの中で救われたのは誰だったでしょうか。

え、お母さんじゃないの?

そうですよね。確かに、餓鬼道に堕ちたお母さんが目連尊者の供養によって救われていった、という話でした。

しかし、これはあくまで私の個人的な味わいですが、本当の意味で救われたのは目連尊者ではなかったかと思うのです。

お母さんは自らの意思で餓鬼道に赴き、あえて逆さ吊りの姿を目連尊者に見せてまで、目連尊者を正しい道へと導かれたのではないか。

そのお母さんはまず、目連尊者が受けた恩がどれほど深いものであったかを教えてくださいました。自分一人を育てるということがどんなに大変なことか。どれほどの犠牲の上に今が恵まれているのかということをその姿をもって教えてくださったのです。

そして目連尊者を立ち上がらせたのもお母さんでした。お母さんを救うため、お母さんを救うため、と必死で積んだ功徳は、実は目連尊者自身のための功徳であったのです。

母を救うために歩んだ仏道が、実はそのまま母に歩まされた仏道であったのです。

私はこの盂蘭盆経をこのように味合わせていただいています。

この盂蘭盆経に自恣の日として説かれる7月15日は旧暦で、新暦に直すと8月15日になります。ですので日本では(地域によって若干の差はあるようですが)8月15日の前後をお盆としてご先祖のご恩を思う風習が続いています。

 お盆とは、慌ただしい日常から一旦離れて仏壇の前に座り、改めてご先祖さまから受けたご恩の深さを思い、自分と向き合う仏縁だと思います。

そのご恩を思えば思うほど、ご先祖さま無しには今の自分も、今の生活もあり得ないことが身に染みてくるはずです。

何気なく仏壇の前で手を合わす。それは私の所作でありながら、私の所作ではありません。ご先祖さまがいなかったならば、私の手が合わさることはないのです。ご先祖さまが私に手を合わさせたのでしょう。

ご先祖さまはお盆にだけ帰ってこられるのではない。いつでもどこでも、今私を導いてくださっているのだと、改めてその命の繋がりを感じさせていただく仏縁、それがお盆ではないかと思うのです。

合  掌

(2021年8月5日 発行)