『死を見つめた先』 読む法話 日常茶飯寺 vol.14

 浄土真宗では、南無阿弥陀仏のお念仏によって命を終えたら極楽浄土に生まれていくと聞かせていただきます。今号では、私がインドを旅した時の話を交えて極楽浄土を味わってみたいと思います。

 今から13年前、私はインドの北部を訪れました。お釈迦さまのゆかりの地を巡るツアーに参加したのです。

海外旅行の経験に乏しかった私は「海外に行く」というだけで楽しみで仕方ありませんでした。見知らぬ土地の景色、匂い、人、文化…あらゆる想像とワクワクを膨らませてインド旅行に臨みました。

 インドに到着して空港を出たところでインド人の男たち数人に囲まれました。彼らは私を囲んで何やらものすごい剣幕で声を荒げて揉めています。後でガイドさんに彼らが何を言っていたのか聞いてみると

インド人A「あなたの荷物を運びましょうか?」

インド人B「いや、その荷物は俺に持たせてくれ!」

インド人C「何言ってるんだ、そいつは俺の客だ!」

と、誰が私の荷物を運ぶかで揉めていたそうです。いや、そもそも頼んでないやん…

 いきなり出鼻を挫かれながらも寝台列車でインドの北部に移動し、バスに乗り換えました。それから8日間、そのバスでお釈迦さまのご旧跡を巡っていくのです。ただその8日間は、私が思い描いていた海外旅行とは全く違いものになろうとはその時は思いもよらぬことでした…。

 インドというとI T技術が発達しているイメージがありますが、インド北部には電気が来ていません。夜になると全く何も見えなくなるほどの漆黒の闇が世界を覆い尽くします。

舗装されていない穴だらけの土の道を毎日バスで移動するので、常にガタガタ揺れています。しばらく揺られているとゴツン!と頭に何かがぶつかりました。「イッタ〜!」

何かが落ちてきたのかと思って辺りを見渡しても、何も落ちてきていません。おかしいなぁ…と思っていると、もう一度あの衝撃がきました。

その時私は目を疑いました。

信じられるでしょうか。物が頭に落ちてきたのではなくて、私の体が宙に浮いてバスの天井で頭をぶつけているのです。私だけではありません。バスに乗っている人全員が天井で頭をぶつけているのです。何とも奇妙な光景でした。

そんな悪路を長い日で8時間も移動するのです。寝ようにも寝られません。寝れないのなら景色を楽しもう!と窓の外を見ると、そこは何もない大平原。走れども走れども景色は変わりません。

バスが止まったので「やっと着いたか!」と思うとガイドさんが「え〜、今バスの前方に牛がいますので、牛が動くまでお待ちください」と言うのです。インドの国教であるヒンズー教は牛を神聖な生き物として大切にするので、牛の邪魔をしてはいけないのです。道の真ん中に寝そべってこっちを見ている牛の顔は私にはとても憎たらしく見えました。


 そして移動で気になるのがトイレの問題です。

この時点でもうトイレには何も期待してはいなかったのですが、…いや、むしろ逆に期待をしていたかもしれません。しかし現実はその期待をはるかに越えていくものでした。

おもむろに道にバスを停め、ガイドさんが平然と言います。「バスを壁にして、バスの右側が女性、バスの左側が男性ね。覗いちゃいけませんよ」

そして我々は大平原に放り出されて、そこで用を足すのです。


 その次に気になるのが食事の問題です。

うっすらそんな気はしていましたが、食事は朝昼晩とずっとスパイシーなカレーです。ホテルの朝食はバイキングだと聞いて、カレー以外のものが食べられる!と思って会場へ小走りで行きましたが、何種類ものカレーが置かれているカレーバイキングでした。

また、バイキングに並んでいるのは人間だけじゃなく蟻も行列をなしていました。

屋外型のレストランでは信じられない数の蠅をはらいながらの食事でした。

「とんでもない所に来てしまった」

そう思うのにそれほど時間はかかりませんでした。気がつけば日本時間に合わせた時計ばかりを見ていました。「あぁ今日本は日曜日の6時やから、サザエさんが始まったとこやな。サザエさん、観たいなぁ。日本に帰ったらあれしよう、これしよう、あれ食べよう、これ食べよう…」インドにいながら心は完全に日本にありました。

海外に行くことをあれほど楽しみにしていた私でしたが「早く日本に帰りたい」とばかり思っていました。

 そんな旅の3日目の夕方のことです。バスが道に止まりガイドさんが言いました。「もう間もなく日が暮れます。日が暮れると真っ暗になってトイレ休憩が取れなくなるから、今日最後のトイレ休憩を取ります。」

三日目にもなると慣れたもので、男女ともに戸惑いも恥じらいもなく、スタスタと大平原へ出ていきました。

私も続いてバスから降りたその時、自分が向いている方角が西であるということに気が付きました。

目の前の空に夕陽が沈もうとしていたのです。

動くものが何一つない大平原の遥か彼方、地平線の向こうにゆっくりゆっくりと真っ赤な太陽が落ちていくのです。

ボーっと沈みゆく夕陽を眺めていると太陽の熱を感じます。その熱は私の体の芯まで、心の奥底まで届き、心の奥底の凝り固まったものが融かされていくような何とも言えない深い安堵感に包まれました。

「この光と熱に私は今日まで生かされてきたのだ。自分の力で生きてきたように思っていたけれど、そうではなかった。自分を生かす大いなるはたらきの中でちっぽけな私が生かされていたのだ」と実感しました。文章にしてみると当たり前のことなのですが、私にとっては大きな価値観の転換でありました。

それはあまりに美しくて、優しくて、切なくて、涙が出そうな光景でした。

不思議なもので、あの夕陽を見てから「早く日本に帰りたい」と思うことはなくなりました。

 お釈迦さまは「一日の終わりに太陽が沈んでいくあの西の彼方に、命の帰すべき処、極楽浄土がある。命終えたら、何の心配もない大いなる命のふるさとへ還っていくんだよ」と説いてくださったのでした。

先立っていった大切な方々が還っていかれた極楽浄土とは私たちと関係のないところではありません。極楽浄土から今私たちに届けられた光と熱があります。その光と熱こそが「南無阿弥陀仏」なのです。

南無阿弥陀仏とは、阿弥陀さまや先立っていった方々が私を喚ぶ声です。

私が喚ぶより先に、私を喚び続けてくださっていた。その喚び声にこの度やっと返事をした、それがお念仏です。

 命の行き先を聞かせていただくことは、人生に豊かさをもたらせてくれると私は思っています。なぜなら、死を見つめることで生の本当のあり方が見えてくるからです。

 3月8日・9日と講師に龍谷大学准教授の井上見淳先生をお招きして永代経法要をお勤めします。永代経法要は先立っていかれた方々を縁として勤められる法要です。ご都合のつく方はぜひお参りください。

合  掌

(2021年2月13日 発行)