『沈黙の説法』 読む法話 日常茶飯寺 vol.69

 三部経の一つ、無量寿経には、阿弥陀さまがなぜ仏になったかということが説かれています。阿弥陀さまが仏になる前、「こんな仏になります」「こんな国を作ります」というような48通りの願いを建てられました。これを四十八願といいます。

 無量寿経の中に「設我得仏(せつがとくぶつ)」で始まり「不取正覚(ふしゅしょうがく)」という言葉で終わるフレーズが48回出てきます。これがその四十八願です。「設我得仏」とは「私が仏になったら…」という意味で、「不取正覚」とは「もしこの願いが実現できないなら、私は仏にはならない」という意味です。

例えば第一願は、「私が仏になったら、我が国(極楽浄土)の人々が地獄・餓鬼・畜生の苦しみを味わうことがあるなら、私は仏にはならない」という願いです。

48の願いの全てが実現されなければ仏にならないという強い決意が一つひとつの願いに込められています。

その四十八願の中で一番大切な願いが18番目の願です。一番得意な歌のことを十八番と言ったりオハコと言いますよね。阿弥陀さまも18願が一番大切なのです。四十八願の中で根本の願い、ということで「本願」とも言われます。私たち浄土真宗の本山「本願寺」はここから名前を取っているのです。

その本願に阿弥陀さまはこのように願われています。 

「『南無阿弥陀仏』この言葉をもってこの世界中の全ての命を必ず救います。たった一人でも私の国(極楽浄土)に生まれることができないのなら、私は仏にはならない」

 人類が誕生してから現代までに生まれた人間の総数は1082億人と推定されるそうです。しかし阿弥陀さまは「全ての命」とおっしゃっていますから、阿弥陀さまが見ているのは人間の命だけではありません。1082億どころではない命を前に「たった一つの命も見捨てない」と願ってくださったのです。

その「たった一つの命」とは誰のことか。それは他でもなく、この私自身のことでしょう。どんな私であったとしても、その私を見捨てないと願ってくださったのが本願なのです。

「南無阿弥陀仏」と私がお念仏するということは、あまりにスケールの大きな阿弥陀さまの願いが、この私一人にかけられてあったということなのです。

そのことを味合わせていただいたご縁がありました。


 私は本山・西本願寺より「布教使」というお役目を拝命し、いろいろな場所で法話をさせていただいたり、日常茶飯寺を発行したり、布教活動をさせていただいています。

その布教使が集まって勉強会をすることがあります。講義を聞くという勉強会もありますが、布教使同士でお互いに法話を聞き合って、気がついたこと、良かったこと、改善すべきことなどを指摘し合う研鑽を繰り返します。


 そんなある勉強会での話です。その勉強会のメンバーの中にHさんという人がいました。Hさんはいつもニコニコしている陽気な人柄で、いつも冗談を言って場を和ませるムードメーカーのような存在です。

みんな順番に法話をしていって、そのHさんが法話をする番になりました。

その法話を一言一句メモしたわけではありませんので正確ではないと思いますが、私の記憶に残っている範囲でその法話を紹介します。

〜 以下Hさんの法話 〜

 私の父は30代の若さで病気で亡くなりました。当時私は小学生でして、あんまりその時のこと覚えてないんですよね。父の葬儀の時も弟とキャッキャ言って遊んでいて叱られた記憶があります。

私の母はお寺の出身ではなくて、お寺のことは右も左も分からない中で決心をしてこのお寺に嫁いできてくれた人なんです。しかし、私の祖父と祖母は、連れ合いを亡くした母にお寺のことを押し付けるのは酷ではないかと考え、母にこう言ったそうです。

「なぁ、〇〇さん。あんたはまだ若い。人生まだまだ先は長いんだから、お寺のことは気にしなくていい。あんたはあんたの人生を生きなさい。郷に帰ろうと思うんならそうしたらいい。自分の人生を第一に考えなさい。」優しくそう言った後、一呼吸置いてから「ただし…」と続けました。

「Hはここに置いていきなさい。Hはこのお寺の跡取りだから、私たちが責任を持って育てます。」

私には兄弟がおりますが、私が長男なんです。だから、長男である私を置いていけと祖父と祖母はそう言ったんだそうです。

そう言われた母は涙を流して言いました。

「私はHの母親です。Hを置いてどこへも行きません。」

母はそう言って…母はそう言って……


 ここまで話して、Hさんは声を詰まらせました。Hさんは顔を真っ赤にして嗚咽をもらしていたのです。

法話は一人当たりの持ち時間が決まっています。時間を超過することは許されません。ですからHさんは「母は…母は…」と法話を続けようするのですが、声が裏返ってしまって声にならないのです。あとからあとからとめどなく溢れ出る涙を、口を真一文字に結んで必死に堪えようとなさいました。けれど、大粒の涙は止まるどころか、次から次にHさんの頬を伝ってボトボトと足元の畳へと落ちていきました。

ボトッ

ボトッ

ボトッ

ボトッ

誰にもどうすることもできず、静かな部屋の中をただ涙が落ちる音だけが響いていました。

長い、長い沈黙でした。沈黙の末にHさんは震える声で「すみません」と言ってお辞儀をして法話を終えられたのでした。

しかしその場にいた私たちみんな、その沈黙に心打たれ涙したのです。

「母はそう言って…」の後にどんな言葉が続くはずだったのか、誰も知りません。

けれど、その沈黙は私たちに語ったのです。何があってもHさんを見捨てることのないお母さんの親心の深さ、その計り知れなさを。そしてその心に触れたHさんの言葉にならない思いを。

きっと、どんなに言葉を並べても言い尽くすことなど出来ないことを沈黙が語ったのです。


「Hを置いてどこへも行きません。」と言い切ったお母さんの決意。

それがたとえどんなに孤独で辛い道のりであったとしても、Hを見捨てることなどできるもんですか。だってHは私の子だから…

まさにこれは、阿弥陀さまが私を思ってくださる本願のお心に重なって聞こえてきます。

「たとえどんなに孤独で辛く厳しい道が待ち受けていようと、地獄の苦しみに身を沈めようと、あなた一人の命を見捨てることができるもんですか。だってあなたは私の子だから…」という壮絶なまでの願いをもって阿弥陀さまは今私と一緒にいてくださる、それが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。

あの時のHさんの沈黙に、私はそう聞いたのです。

合 掌

(2025年9月6日 発行)