『私は人か人間か』 読む法話 日常茶飯寺 vol.65
「現代は、人はいるけれど人間はいなくなった」
いつか私の恩師が法話の中で語った言葉です。何か大切なことが詰まった言葉なんだろうと思いながら、分かったような、分からないような…曖昧にしたまま最近まで過ごしてきました。
「人」と「人間」。何が違うのでしょう。それは「間」があるかないか、ですね。
では「間」とは何でしょうか。
例えば話をする時、言葉と言葉の間に「間」と呼ばれるものが存在します。間とは不思議なもので、ただの空白でありながらその間によって笑いが起こったり、涙が溢れたりするのです。音楽でも絵画でもきっとそうでしょう。音が鳴っていないわずかな時間、色が描かれていない空間、その間にこそ美が引き出されているように思うのです。
目には見えないし、音も色も無い。けれど何も無いのかと言えばそうではなくて、何かがある、それが「間」なのです。
では、人間にとっての「間」とは何なのか。先日私は一本の映画に出会い、そのことを教えられたような気がするのです。
その映画のタイトルは『なみのこえ 新地町』
東日本大震災が東北を襲ってから約1年後、福島県新地町に暮らす被災者の方が二人向かい合ってそれぞれの被災体験を語り合う様子を記録したドキュメンタリー映画です。
福島県新地町というのは福島県の沿岸部に位置し、未曾有の大津波の被害に遭った町の一つです。また、福島第一原発にも近く、住民の方々の生活は地震や津波だけでなく原発事故によっても大きな影響を受けている町でもあります。
映画製作者から被災者への一方的なインタビューだと、被災者の方にマイクとカメラが向けられ、どうしても自然体で語ることが難しくなります。けれどもこの映画では、話し手も聞き手も新地町に暮らす親しい間柄の二人組が何組か出演なさっています。家族であったり、職場の同僚であったり、友達であったり、いつも一緒に生活をしている人同士が自然体で被災体験を語り合っているところを客観的に撮影しているのです。
なので時には冗談を言って笑い合ったり、親子喧嘩が始まってしまったり、二人で涙したり…。そういう自然体の中で語られる言葉の一つ一つを聞いていると、会ったこともない新地町の人の心の中を覗いているような不思議な感覚に陥りながら観ていました。
新地町の方々が語られた震災の記憶というのは、やはり壮絶というほかありませんでした。生まれた時から当たり前にあった故郷、帰る家、大切な人の命、それらが2011年3月11日、大津波によって奪われてしまったのです。被災された方々が受けた傷はあまりに深く、その心情を言い表す言葉など一言も存在し得ない中で、それでも出演者の一人ひとりが震災の記憶や自分の心と向き合い、言葉を探し、語られました。
「震災から一年経った今も震災のことを思い出すか」という問いに対して、震災を「時々思い出す」のではなくて「時々忘れる瞬間がある」とおっしゃったところに、受けた傷があまりに深いことを痛感しました。
皆さん最初は被災体験から話されるのですが、話していくうちに話の内容が、震災から一年経った今のご自身の思いへと変わっていきました。時には自分で言った言葉に自分で「うん」と頷きながら。それは自分の気持ちを言葉にすることで整理をし、自分でも気付かなかった自分の思いを発見しているように見えました。もしかしたらそれは、被災した経験を背負って未来に向けて一歩を踏み出そうとなさっていたのかもしれない、とも思いました。
「海の怖さをこれでもかってくらい知らされた。でも、自分の人生を振り返ったら、いつだってそこに海があったから…。やっぱり私は、海が好きだ」
「何もなくなってしまったけど、この町が好きだから一生この町で暮らしたい。子どもたちにもこの町の魅力を伝えていきたい」
「原発事故によって放射能が海に流れ、福島の漁業は大きなダメージを受けた。それでも自分はいつかまた、新地町で漁業がしたい」
「働いて、帰る家があって、ご飯が食べれて、休みには大切な友人と出掛けて話をする。それは何気ない日常だったけれど、それが幸せ。これからもこの町で大切な人たちと生きていきたい」
私の記憶のまま書いていますので正確ではありませんが、彼らは最後そのように語られました。決して申し合わせたわけではないのに、みんな共通して新地町の自然、新地町での暮らしがやっぱり好きだと語ったのです。
震災から一年、彼らがあの日から問い続けたもの。それはきっと、自分にとっての海、自分にとっての新地町、自分にとっての漁業・仕事、自分にとっての家族・友達、自分にとっての日常、自分が今生きているということ…
そこに、人間の「間」があるような気がするのです。
それは命恵まれた私たち一人ひとりが問わねばならないことだと思うのです。
私たちは「あれがない」「これがない」「ああなったら」「こうなったら」と未来に何かを求めて生きていますが、はたして人間の根本的な喜びというのは自分の願いが実現したところにあるのでしょうか。新地町の人たちが語ったこと、それは「自分の願い」ではなくて「自分」そのものだったのです。
その自分を支える無数の「間」
自分と海との間にある「間」
自分と大切な人との間にある「間」
自分と故郷との間にある「間」
自分と漁業との間にある「間」
「間」とは、目には見えないし、音も色も無い。けれど何も無いのかと言えばそうではなくて、何かがある…そういう「間」に生かされ育まれ、支えられて今の自分がある。一人で生きているのではなくて、自分の力で生きているのでもなくて、無数の「間」の上で生かされている自分であったという気付きの中で、やっぱり海が好きだ、新地町が好きだ、家族・友人が好きだ、と一人の人間として悲しみと喜びの再確認をなさったのだと私は受け取りました。
私たちはいつしかその「間」を当たり前にして、有り難みも喜びも、人間であることも、どこかに置いてきてしまって、「間」抜けな人として生きているのかもしれません。
『なみのこえ 新地町』を鑑賞した数日後、80代男性のお通夜・お葬式のご縁がありました。お葬式にお参りすると、昨晩のお通夜の時にはなかったタッパーが仏前にお供えしてあるのです。故人が好きだった食べ物かな?と思い尋ねてみると、息子さんがこうおっしゃいました。
「父は晩年、歯が悪くなって十分に咀嚼することができなくなったんです。その頃から『肉が食べたい』『肉が食べたい』とよく言っていたけど、とうとう最後まで肉を食べさせてあげられなかったから…。」
なんと息子さんはお通夜の後、買い物に行って自宅に戻ってお肉料理を作ってタッパーに入れて、お父さんの枕元にお供えしてくださっていたのです。
生と死の間にも「間」があると教えられた尊いお葬式でした。
さて、私は人か人間か。人生においてとても大切な問いをいただいたような気がするのです。
合 掌
(2025年5月6日 発行)