『この世界は素晴らしいと』 読む法話 日常茶飯寺 vol.58

たとえば誰か一人の命と

引き換えに世界が救えるとして

僕は誰かが 名乗り出るのを

待っているだけの男だ

 これはミスチルことMr.children(ミスターチルドレン)の「HERO」という歌の歌詞です。私がこの歌に出会ったのはまだ20年以上前、まだ20歳にもなっていない頃でした。若かりし頃の自分は、この歌詞にあまりに自分のことを的確に言い表されたような気がして、それから20年以上経った今も頭から離れずにいます。

 この20年、日本各地であらゆる災害が発生しました。大きな地震だけでも新潟県中越沖地震、東日本大震災、熊本地震。そして今年の元旦に発生した能登半島地震がありました。そして、無慈悲にも被災地、能登を襲った先日の集中豪雨は能登の大地だけでなく、能登に暮らす人たちの心にどれほどの傷跡を残したでしょう。

 災害が起こった時、日本だけでなく海外からも被災地へボランティアに入る方々がいます。それだけでなく、あちらこちらで被災地のためのあらゆる取り組みが行われます。そういう方々の姿をメディアを通して目の当たりにする中で、私はいつもミスチルのH E R Oの歌詞を思い出すのです。

「自分がやらなくても、もっと優れた誰かがやってくれる」と、見ず知らずのどこかの誰かの陰に隠れて、わずかなお金を募金箱に投入することで自分も関わった気になって。「どうせ自分なんて役に立たないから」という言い訳の裏に「何もしようとしない自分」がいる、そのモヤモヤに蓋をして今日まで生きてきました。

もちろん、ボランティアに行くことが全てではないし、それぞれのできる範囲内で精一杯のことをすべきなのだろうと思います。けれど私は、自分のできる精一杯からも逃げてきた人間です。

この度、能登半島復興支援チャリティーイベント、フリフリフェスティバルを開催することになって、ずっと抱えてきたそのモヤモヤをようやく目の前に見据えて考えていました。

 お釈迦さま(ブッダ)は35歳の時に悟りを開いたと言われています。「この世界は全てのものが互いに関係し合って成り立っている。完全に調和していて無駄なものは一つとして無い。なんて美しい世界なのだろう」と、この世界に感動なさったそうです。

この世界には一つとして独立して存在するものは無く、全てのものが関係し合って成り立っている。これを縁起(えんぎ)といいます。縁起とは、縁によって起こるということで、物事には必ず原因があって結果があるということです。

「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」

これは、ダライラマ14世と並んで世界的に有名な高僧でいらっしゃったベトナム人僧侶のティク・ナット・ハンという方が言った名言です。

紙に雲の絵が描いてあるのではありません。私たちが普段使っているような真っ白なコピー用紙であったり、ノートであったり、ティッシュやトイレットペーパー、それらの紙の中に雲が浮かんでいる、と言うのです。

どういうことか、お分かりでしょうか。

雲は大地に雨を注ぎ、その恵みによって樹木が育ちます。その樹木によって紙が作られるのです。しかし、一本の木が育つためには水だけでは不十分です。そこには土、酸素、あらゆる生き物のはたらき、それに加えて温度も大切です。温度を保っているのは太陽です。そして育った樹木を伐採する人、加工する人、日本へと運んでくる人、販売する人がいて、ようやく私がその紙を手にするのです。

「紙」というのは一つの結果であり、紙が出来上がった原因をたどればそこには青空に浮かぶ雲があるでしょう、とティク・ナット・ハンさんは言ったのです。

一枚の紙と空に浮かぶ雲、そして私自身も関係し合っている、ということです。そうやって世の中のものは全てが関係し合って存在している、これを縁起というのです。

さて、私が今ここに生きているということは、どういうことでしょう。同じく私のなかにも雲が浮かんでいるということでしょう。私の命を支えるありとあらゆるもの、おそらくそれは数え切ることのできないほどに、無数の支えによって今の私があるのでしょう。だけど悲しいかな、私たちの認識には限界があります。自分に関係があると思うことには執着して、関係ないと思うことには無関心を貫く。

本当は互いに関係し合って調和した世界に生きているのに、そのことに気付かず、自分と世界とを切り離して狭い世界に自分自身を孤立させている、きっとそれが私です。まさに私は、被災地と自分自身を切り離して考えていたのだと思います。

 今、改めて縁起の教えに問います。

被災地で苦しむ人たちと私も、関係し合って生きている。

ならば、龍野の地で私に出来る精一杯を考えてみよう。

「能登のため」なんて大それたことは思っていません。能登のために自分に何が出来るかなんて分からないし、そもそも能登の人たちに龍野の寺でこんなフェスティバルがあったことを知ってもらう必要もないと思っています。ただ願うのは、能登の人たちの暮らしが震災前の当たり前だった日常に少しでも戻ること、それだけです。

何のためにフリフリフェスティバルを開催するのか。もちろん皆さまからお預かりした義援金を能登へ送るため、ということもあります。

しかし何より、自分のために能登に向き合いたいのです。

いつだって誰かの陰に隠れて、何もしようとしない自分を何かにつけて言い訳をして正当化してきた私ですが、そんな私なりの精一杯をやってみようと思うのです。

そしていつの日か、喜びと悲しみを抱き締めて「この世界は素晴らしい」と心の底から言えたらいいなと思うのです。

合 掌

(2024年10月1日 発行)