『あの眼差しは永遠に』 読む法話 日常茶飯寺 vol.45
■ご報告■
令和5年9月1日 午後2時56分
西福寺前坊守 徳浄院釋明彩 尾野明美が往生の素懐を遂げました。
通夜は9月3日午後5時より、葬儀は翌4日午前10時30分より、門徒葬として滞りなくお勤めいただきました。
生前中には何かとお世話になり有り難うございました。
前坊守であり、私の母である明美は9月1日、痰を吸引してもらってスッキリして、昼食を食べた後に「ちょっと寝るわ」と言ってそのまま静かにお浄土へ参りました。行年89歳(満88歳)でした。お通夜・お葬儀には多くの方にご会葬いただきました。各々に母明美との思い出を語ってくださり、私の知らない母に出会うことができました。西福寺門徒総代、各地区世話人の皆さまには急にお集まりいただき、ご無理ばかり申し、残暑厳しい中お通夜お葬儀の運営にご尽力賜りました。明美が西福寺に嫁いできて62年、長きにわたりお世話になったご門徒の皆さまより多大なる御香典・ご厚情を賜りました。この場を借りて、喪主として心より御礼申しあげます。
「私が死んだら、あんまりみんなに顔見せんといてよ〜」
生前、前坊守は恥ずかしそうに笑いながら時折そんなことを言っていました。「お母さん、ごめんなさい。僕はその約束を守れませんでした。でもお母さん、人に会うことが好きやったから嬉しかったでしょう?」と、お通夜お葬儀を終えた今、遺影の母に語りかけています。
私が西福寺の後住として、そして父了以と母明美の子として迎えていただいて今年で11年になります。「お母さん」と呼ばせてもらったこの11年は私と妻(現坊守)にとって多くのかけがえのないお育てとご恩をいただいた時間でした。「報恩講法要」や「永代経法要」という言葉だけは知っていても、実際に何をすればいいのか、何を準備すればいいのか、何も知らなかった私たちが、今や住職・坊守としてご門徒の皆さまと連携して法要をお勤めすることができるようになりました。
私たちがいただいたもの、受け継いだものはあまりに多く、いくらでも挙げることができますが、その反対に私は息子として母に何ができただろうかと、母が往生してからずっと自問しています。
けれど一つ、3人の孫に会わせてあげられたことは心からよかったと思えます。3人の孫は母を、類まれなる「ばばバカ」にさせました。ご門徒の皆さまの中にもそんなばばバカの母の顔をご覧になられた方はたくさんおられると思います。
長男が生まれた時も、次男が生まれた時も、三男が生まれた時も、お産した病院に父と共に駆けつけてくれて生まれたばかりの赤ん坊を抱っこしてくれました。
孫を抱いて、ジーーーーーーと、それはそれは長い時間静かに孫の顔を見つめていました。顔をしわくちゃにして、なんとも慈愛に満ちた眼差しで。
母はいつも孫たちにお菓子をくれました。
長男が2歳の頃だったでしょうか。いつものように母は「お菓子をあげよう」と、その日はチョコレートを出してくれました。「子どもにチョコレート食べさせるのは3歳過ぎてから」と聞いていた私は、初めての子育てで神経質になっていたところもあり、
「子どもにチョコレート食べさせるのは3歳過ぎてかららしいんですよ。なので申し訳ないんですけど、チョコレートは食べさせんといてください」と言ったことがありました。
母は「そうなん。今はいろいろと難しいんやなぁ」と寂しそうな顔をしていました。
ところがある時、私は見てしまったのです。
母が長男に「お父さんとお母さんには内緒やで。おばあちゃんと了ちゃん(長男)だけの秘密や」と言って二人でチョコレートを食べていたのです。
「おい!」と思いましたが、母と長男が二人で美味しそうにチョコレートを食べている後ろ姿を見ていると、なんだか邪魔をしちゃいけないような気がして私も妻も見て見ぬふりをしたことがありました。今となっては良い思い出です。
母は最後まで孫たちに慈愛の眼差しを注いでくれました。
母の葬儀に3人の孫たちは涙を流しました。子どもたちにとって初めて直面した「死」であったと思います。けれど彼らはちゃんとその「死」に胸を痛め、悲しみ、「おばあちゃん、ありがとう」と、誰に催促されたわけでもなく自ずから感謝の思いを母に告げていました。
「命には限りがある」
学校では教わらない、けれどいま命を生きている私たち一人ひとりにとって一番大切なことを、母はしっかりと孫たちに伝えてくれたのだと改めて感謝の思いが溢れてきました。
お釈迦さまが説かれた浄土三部経が嘘でないならば、母は阿弥陀さまに抱かれてお浄土に参り、仏さまになられたことでしょう。そして今は「南無阿弥陀仏」という声となって、言葉となって、今大きな願いで私たちを包み込んでくれています。
あの母の慈愛の眼差しは消えてなくなってしまったんじゃない。あの母の慈愛の眼差しは永遠になったのです。
死別は永遠の別れではない。永遠に別れることのない世界が浄土なのだ、と説いて下さった浄土三部経を、なんと頼もしく有り難いお経さまであったかと、今改めて味わっています。
この度の別れを仏縁として受け止め、まず私自身が坊守と共にお念仏の香る日暮らしをさせて頂かねばならない。そして母が愛した孫たちに「おばあちゃんは「なまんだぶつ」の声になったんやで。だからお念仏しよう」とお伝えし、そしてご門徒に皆さまに、縁のある方に、命ある限りこのお念仏の教えをお伝えせねばならない。それこそが私のできる唯一のご恩報謝であると身の引き締まる思いでおります。
とは言え、まだまだ未熟で世間知らずな住職・坊守ですので、ご門徒の皆さま、有縁の皆さまには今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。
合 掌
(2023年 9月 14日 発行)