『忘れられないWBC』 読む法話 日常茶飯寺 vol.40
先日、W B C(国際野球大会)で日本が優勝し、大きな話題になりました。日本代表の選手たちが世界を相手に必死で野球をする姿に、多くの興奮と感動をいただきました。
W B Cと聞くと思い出す試合があります。
それは、2013年に開催された第3回大会、東京ドームで行われた日本対台湾戦のことです。この試合の裏側に、語り尽くすことのできない壮大なドラマがありました。
新日で知られている台湾は、1895年から50年間日本に統治されていた時代があり、その頃に日本から野球が持ち込まれたそうです。ですので野球において日本と台湾は、お兄ちゃんと弟のような関係です。その兄弟対決が、W B Cという世界の舞台で実現したのです。
その試合の2日前、ある一人の人がS N Sのツイッターでこのようなメッセージを発信しました。
「東京ドームで日本-台湾戦を観戦する予定の方へ。震災での台湾からの義援金のお礼を横断幕やプラカードで伝えて下さい。台湾国内ではWBCの注目度が非常に高いです。台湾の皆さまへ改めて感謝のメッセージをおくる最大のチャンス。日本と台湾の友情が永遠であることをWBCを通して伝えて下さい。」
この時から2年前の2011年3月11日。私たち日本人にとって決して忘れることのできない未曾有の大災害、東日本大震災がありました。
日本中が絶望に打ちひしがれる中、なんと台湾は200億円を越える義援金と400トンを越える支援物資を送ってくれたのです。それだけではありません。台湾の救助隊が日本に駆けつけてくれたのは、なんと震災の翌日。世界のどの国よりも早く救助隊を派遣してくれたのが台湾だったのです。
その2年後の3月8日に行われたのがW B Cでの日本対台湾戦。きっと、台湾でも多くの方がテレビで試合を観戦しているに違いありません。
「テレビを通じて、台湾にお礼をしようじゃないか」
というメッセージはインターネットを通じてまたたく間に日本中に拡散されていきました。
その勢いはもはや日本国内だけに留まらず、日本語のメッセージは誰かの手によって中国語に翻訳され、世界中にまで拡散されていきました。そのメッセージの数々が、とうとう台湾メディアに取り上げられるほどの事態にまで発展しました。
台湾の誰かがツイッターで、
「東京にWBC観戦に行かれる野球ファンのみなさまへ。台湾対日本戦であろうが、他の国との対戦であろうが、球場では過激な内容の横断幕やプラカードを掲げないでください。日本の方がツイッターで拡散されている内容をご覧ください。このような状況下で、我々が見苦しいメッセージを掲げれば、恥をかくのは我々です」というメッセージを発信して、これもまたたく間に拡散されていったそうです。
これがたったの2日間の間に起こった出来事だなんて、信じられるでしょうか。
けれども、この時すでに来日していた台湾選手たちはそんなことになっていることなど露ほども知らずに試合に臨んだのです。
そして3月8日の試合直前、東京ドームの観客席を目の当たりにして彼らは言葉を失いました。
押し寄せた大勢の日本の野球ファンが、
「台湾に感謝」
「台湾謝謝!」
などと書かれた色とりどりのプラカードを掲げているのです。
そんな中で始まった試合は、日本も台湾も互いに一歩も譲らず、点を取られては取り返し、追い越されては追いつき、とうとう延長戦にまでもつれ込みました。あまりの熱戦に、いつしか敵と味方という立場も超えて観客席全体が一つになっていきました。そして延長10回裏ツーアウト、台湾の選手の必死のヘッドスライディングは、ずっと追い続けてきた兄の背中に一歩届きませんでした。4−3の激闘の末に日本が勝利を収めるという結果に終わったのです。
そして、テレビの放送も終わってからのことでした。
苦しい試合を制して喜びを爆発させる日本人選手たちの後ろで、台湾選手たち
がぞろぞろとベンチから出てくるのです。そしてなんと監督・コーチ・選手全員がマウンドに立って、360度向きを変えながら、日本の野球ファンに向かって深く深く頭を下げたのです。
その時観客席から、台湾選手たちに、そして、遠く離れた台湾に向けて、割れんばかりの拍手が送られたのでした。
そこには
「日本おめでとう!」
と書かれたプラカードを掲げる台湾の野球ファンの姿もありました。
国境を超え、言葉の壁を超え、勝ち負けを超え、敵・味方という立場を超え、一つに融け合うことの尊さを教えられた名試合でした。
私はこの試合を知った時に、親鸞聖人のあるお言葉を思い出しました。
「清風(しょうふう)宝樹(ほうじゅ)をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮(きゅう)商(しょう)和して自然(じねん)なり
清浄薫(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし」(浄土和讃)
浄土に清らかな風が木々の間を吹き渡るとき、宝石でできた木々の葉や枝を揺らし、宮・商・角・微・羽の5つの音が奏でられる、といいます。宮・商・角・微・羽というのは中国古来の音階で、西洋の音階に当てはめるとド・レ・ミ・ソ・ラの音になります。
その宮と商の音、つまりドとレの音は不協和音の関係にあります。不協和音とは、絶対に協和することのない音同士ということです。ドもレも単体で鳴らせば綺麗な音なのに、合わさると不快な響きになってしまう犬猿の仲なのです。
しかし、浄土ではそのドとレが協和して美しいハーモニーを奏でる、と説かれます。
絶対に交わることのなかった者同士が、一つに融け合って美しいハーモニーとなる世界が浄土である。まさに、2013年3月8日に東京ドームで行われたあの日本対台湾戦に、私たちが願うべき浄土のすがたを教えられたような気がします。
私たちはいろいろな立場を背負って生きています。その背負っている立場ゆえに、他者といがみ合っていかねばならない世界に私たちは生きています。おそらく誰も元々は、争ってやろう、相手を傷つけてやろうなんて思っていないでしょう。それぞれの立場に正義があり、曲げられない思いがあるだけなのです。
けれど、それぞれの正義が協和するかというと、ほとんどがそうではありません。正義と正義が衝突し、争いの元になってしまうのが現実です。「間違っているのは相手の方で、正しいのは自分の方だ」と振りかざした正義は時に相手を傷つけ排除するだけでなく、自分自身を孤独に追いやるものでもあります。
浄土とは、協和することのなかった音同士が美しく協和していくように、いがみ合っていた者同士が、それぞれの正義や立場を超えて本当の出遇いを果たす世界です。
真に私たちが願うべき世界は、思い通りに自分の正義が押し通された世界ではなく、振りかざした自分の正義を降ろしていける浄土の世界なのです。
そこに、いがみ合っていた者同士も、善人も悪人も、あらゆる立場を超えて、互いの存在の尊さに手を合わせ、抱き合っていける、まさに一つに融け合う世界が開かれていくのです。
合 掌
(2023年4月3日 発行)