『老病死を超える道』 読む法話 日常茶飯寺 vol.16
4月8日、と言えば何の日かご存知でしょうか。ブッダ、お釈迦さまの誕生日です。
なので今号ではお釈迦さまについて書きたいと思います。
お釈迦さまが生まれた年は、一説には紀元前463年と言われています。とすると、先日の4月8日は2484回目の誕生日だったことになります。
お釈迦さまは今で言うネパールのルンビニーという所で生まれ、ゴータマ・シッダールタと名付けられました。
お父さんは一国を治めるシャカ族の王様だったので、お釈迦さまはやがて王位を継承する王子様として英才教育を受けられました。あらゆる学問や武術を学ぶため一流の家庭教師がつけられましたが、1聞いたら10も100も理解してしまうので「もうこれ以上教えることがありません」と次々と先生たちが辞任を申し出るほどの天才だったそうです。
幼少期のお釈迦さまの性格は内省的で、よく物思いにふけっていたそうです。ある時、鳥が虫をついばむ姿を見て弱肉強食の現実を知り、とても落ち込んでしまったということもあったそうです。
富はいくらでもあるし、誰もが自分の言うことを聞いてくれる。
何でも思い通りになる生活の中にありながらどこか満たされない空しさを感じておられたのかもしれません。
お釈迦さまの生涯を語る上で欠かすことの出来ない重要な出来事として「四門出遊」と呼ばれるエピソードがあります。
それは、お釈迦さまが29歳の時でした。
遊びに行くためにお城の東門から外に出ると、そこには弱りきった老人の姿がありました。
釈迦「あの人はどうしたのだ。」
家来「老人でございます。」
釈迦「あの人は生まれた時から老人なのか?」
家来「いえいえ、あの人も生まれた時は赤ちゃんだったのですよ。人は誰しも年を重ねれば老人になっていくのです。」
釈迦「じゃあ私もやがては老人になるのか?」
家来「もちろんです。」
ショックを受けたお釈迦さまはとても出かける気にはなれず、お城に戻りました。
後日、今度はお城の南門から外に出ました。するとそこには病に冒された人が横たわっていました。
釈迦「あの人はどうしたのだ。」
家来「病人でございます。あの人も若い時は健康だったのですよ。人は誰しも年を重ねれば病気の一つや二つ背負っていかねばならないのです。」
ショックを受けたお釈迦さまはお城に戻りました。
後日、今度はお城の西門から外に出ました。するとそこには死人の姿がありました。
釈迦「あの人はどうしたのだ。」
家来「死人でございます。あの人もついさっきまで生きていたのでしょう。人は誰しも年を重ねれば必ず死なねばならないのです。」
ショックを受けたお釈迦さまはお城に戻りました。
お城でお釈迦さまの周りにいる人々はそれぞれに役職・仕事が与えられている人たちですから元気な人ばかりです。その人たちが年老いたり病気になったり死んでしまったら、仕事もできませんからお城に出入りすることもなくなるので、当然お釈迦さまの前に姿を表しません。そんな環境で育たれたお釈迦さまですから、29歳まで老人や重病人や死人を見たことがなかったのです。
自分もいつかは年老いて病気になって死んでいかねばならない。
いかなる財力をもってしても、いかなる権力をもってしても、老・病・死を避けることはできない…
このことにお釈迦さまは大きなショックを受けられました。
そんなある日、今度はお城の北門から外に出ました。するとそこには出家した修行者の姿がありました。
その凛として何事にも動じない気高い姿を見て、お釈迦さまは尋ねます。
釈迦「あなたはどうしてそのように気高く尊いのですか」
修行者「私もかつて、あなたと同じように避けることのできない老・病・死の問題に悩み苦しみました。そして今はその老・病・死の苦しみを超えるため修行をしているのです。」
その修行者の気高さは、生きることや老病死の苦から離れているが故の気高さであると気がつき、感動されました。
その修行者との出会いをきっかけにして、お釈迦さまは富を棄て、権力を棄て、王位を棄て、家族・お城を棄てて、ただ老・病・死の苦を超える道を求めて出家なさいました。
これが四門出遊と呼ばれるエピソードで、お釈迦さまが出家なさるきっかけとなった出来事です。
お釈迦さまは出家して、有名な修行者の元に弟子入りしましたが、やはりあっという間に師匠の境地に達して、「これでは老・病・死の問題は何も解決されていない」と感じ、師匠の元を去ります。
それからお釈迦さまは6年間にわたる徹底的に体を痛めつける壮絶な苦行をします。その生と死の狭間のギリギリのところで苦行をなさるお釈迦さまのお姿を表した「釈迦苦行像」という像を見ると、どんなに凄まじい苦行であったかをうかがうことができます。
しかし、心も体もボロボロになったお釈迦さまは死の淵で「これでも老病死の問題は何も解決されていない」と苦行をやめられます。
そこにたまたま通りすがったスジャータという娘が弱りきって死にかけているお釈迦さまを見て放っておけず、乳がゆを施し、介抱しました。お釈迦さまはその乳がゆを食べて回復していかれました。
「スジャータ」といえばコーヒーフレッシュ等で有名な会社ですが、何を隠そうこのお釈迦さまを救った娘さんの名前から社名を取っているのですね。
そして元気になったお釈迦さまは菩提樹の下に座り、何日も瞑想をされた末についに悟りを開かれたのでした。偉大なるブッダ(目覚めた人)が誕生した瞬間です。お釈迦さま35歳の時でした。
お釈迦さまは深く自分の心の中を見つめることで、「苦」というものは自分の外側に客観的にあるのではなく、自分の内側にあるということを発見されました。老・病・死そのものが苦なのではなくて、老・病・死を受け止める自分自身が苦を生み出しているのだと気付かれたのです。
苦の原因を完全に滅したお釈迦さまは、老いていく中で老苦を感じず、病に冒される中で病苦を感じず、死にゆく中で死苦を感じず、ありのままの全てを受け入れて、80歳で亡くなる最後の最後まで穏やかに生きられたのでした。
テレビを見ていると、アンチエイジングや健康の番組がとても多いように思います。それはやはり世間の関心がそこにあるということなのでしょう。もしかするとその根っこにあるのは、老・病・死に怯える現代人の苦悩なのかもしれません。いや、現代人だけではない、人間の永遠の苦悩と言っても過言ではないでしょう。
その人間の永遠の苦悩に応えてくださったのがお釈迦さまなのです。
老いる自分、病の自分、死にゆく自分、そのありのままの自分を受け入れていくところに、真に輝ける「生」が開かれていくのだよ、とお釈迦さまは2484年もの時を超えて私たちに説いてくださっているのです。
合 掌
(2021年4月17日 発行)