『三尺三寸の箸』 読む法話 日常茶飯寺 vol.13

新しい年を迎えました。

皆さまはお正月をどのようにお過ごしになられたでしょうか。

おせちやお雑煮を前にすると年が明けたんだな〜といつも実感します。お正月におせちやお雑煮をいただく際には「祝い箸」を使うのが日本の風習になっています。これは神道のならわしだそうです。

「八」という漢字が末広がりで縁起が良いので、祝い箸は長さが八寸(24センチ)と決まっています。


箸の長さ、ということで仏教にこんな話があります。


昔々、あるところに地獄と極楽に見学に行った男がいました。

まず地獄に行ってみると、ちょうど食事の時間でした。

男は「地獄なんだから、たいそう粗末な食事なんだろうなぁ」と思い、テーブルの上に置かれた料理を見てみると、なんと、とても豪華な食事が所狭しと並べられているではありませんか。

「ええっ、地獄ってこんなご馳走でてくるの〜!?」と驚きました。でも、どうも様子がおかしい。地獄の罪人たちを見てみると、みんなガリガリに痩せ細って骨と皮になっているのです。

「毎日こんなご馳走食べていながら、なんであんなにガリガリなんだろう?」

そう思ってよく見てみると、罪人たちは長さ三尺三寸、約1メートルもある長い箸を持っているのです。自分の腕よりも長い箸ではどんなに頑張っても口に食事を運べません。飢餓状態の彼らの目の前には美味しそうなご馳走が並べられているのに、たったの一口も食べることができないのです。

次第にイライラして怒り出し、隣の人がつまんだ食事を奪おうとして争いが起こり食事どころではなくなってしまいました。

次に男は極楽へ行ってみました。

極楽もちょうど食事の時間でした。テーブルの上には地獄と同じように豪華なご馳走が並べられています。

極楽の住人たちの様子はふくよかでお肌もツルツル、みんな微笑みながら食卓を囲んでいました。ところがよく見てみると、彼らも三尺三寸、約1メートルの箸を持っているのです。


さて、考えてみてください。

長さ1メートルもある箸で、極楽の住人たちはどうやって食事を食べるのでしょう。

初めてこの話を聞いた時、私は瞬時に思いつきました。

「箸使わんと、手で食べたらええんや!」と。

でも極楽の住人はそんな行儀悪い事はしません。


男は、「地獄の罪人たちは一口も食べられず喧嘩になってしまったけど、極楽の方々はどうするんだろう」と思ってじっと様子を見ていました。すると、極楽の住人はその長い箸で食事をはさむと、目の前の人に「はい、どうぞ」と言って口に入れてあげたのです。

「あぁ〜美味しい。どうも有り難う。お返しにあなたにも食べさせてあげましょう。どれがいいですか?」と、お互いに食べさせ合っていたのでした。

地獄も極楽も、状況は全く同じなのです。同じ食事を前にし、同じ箸を持ちながら地獄の罪人は怒り、傷付けあい、飢餓に苦しむのです。なぜでしょう。

それは、自分の幸せだけを願うからではないでしょうか。他人よりも自分の方がより良い思いをしたい、そういう思いが地獄を作っていくのです。

この話は、あなたが幸せにならなければ私も幸せになれない、私が幸せにならなければあなたも幸せになれない、そういう世界こそ私たちが真に求めていかねばならない世界だということを教えてくださっているのではないでしょうか。

まさに阿弥陀仏は「あなた1人を救えないようなら、私は仏にはならない」という願いを私にかけてくださっている仏さまでありました。

合  掌

(2021年1月7日 発行)