『無量寿経ってどんなん?』 読む法話 日常茶飯寺 vol.7

 今号では浄土三部経の一つ、無量寿経について書きたいと思います。

お釈迦さまの弟子に阿難という人がいました。

阿難はお釈迦さまの従兄弟にあたる人で、お釈迦さまより30歳ほど若かったそうですが、出家してから約25年間、常にお釈迦さまの側にいてお釈迦さまの身の回りのお世話をされました。常にお釈迦さまの側にいたので誰よりもお釈迦さまの説法を聞いていました。しかも阿難は記憶力に抜群に長けており、一語も漏らすことなく記憶していたので、お釈迦さま亡き後、弟子たちが集まってお経の編纂会議を行った時に非常に重要な役割を果たしました。

 ちなみに阿難はあまりに美男で、女性がお釈迦さまの説法を聞きに来ても説法を聞くどころか終始横にいる阿難に釘付けになってしまったそうです。とても優しくて世話好きの阿難はその女性たちを注意したり追い返したり出来ず困っていました。そんなある日、お釈迦さまと阿難の二人きりになった時にお釈迦さまから「阿難よ、お前は女性を見てはいけません。もし目が合っても声をかけてはいけません」と注意されたそうです。

 阿難はお釈迦さまのことがとても大好きでした。お釈迦さまが80歳で亡くなられる時のことが描かれた「涅槃図」という絵がありますが、そこにはお釈迦さまの死を受け入れられずに気絶して横たわっている阿難が描かれています。

ところどころ「何やってんだ!」と思えてくるエピソードがあって、人間味溢れる魅力的な人です。

 お釈迦さまにはたくさんの弟子がおられて、その数は1250人とも2000人を超えるとも言われています。その中で「十大弟子」と呼ばれる主要な10人の弟子がいて、その一人が阿難でした。

ところがその10人のうち阿難と他の9人との間には決定的な違いがありました。どんな違いかというと、阿難だけがお釈迦さまが生きている間に悟りを開けなかったのです。他の9人はお釈迦さまの教えを守り、実践し、次々に悟りを開いていきました。しかし阿難は誰よりもお釈迦さまの側で説法を聞いていながら、いつになっても悟りを開けないのです。阿難は決して自堕落な人ではなく、むしろ真面目で熱心な出家者だったのに、です。

 阿難はどんな気持ちで彼らを見ていたのでしょう。

情けなかったり、悔しかったり、嫉妬したり、どんなに頑張っても何も変われないし、変えられない自分に深い失望を味わったのかもしれません。

それでもお釈迦さまのことが大好きな阿難はお釈迦さまの側を離れることはありませんでした。

 そんなある日の朝、阿難がお釈迦さまと顔を合わせた時にお釈迦さまのお顔が神々しく見えたので思わず尋ねます。

「お釈迦さま、どうなさいましたか。今日はいつもにまして尊いお顔をされていますが。」

そう尋ねられたお釈迦さまはびっくりして阿難に尋ね返します。

「阿難よ、どうしてそのことに気がついたのですか。誰かがそう言っていたからそう言うのですか。それとも自分で気がついてそう言うのですか。」

「はい、自分で気がついたのでそう申し上げました。」

阿難がそう言うと、お釈迦さまが微笑んで、

「善哉(よいかな)、阿難」(よくぞ気がつきました、阿難よ)と言って阿難を褒めます。余談ですが、この「善哉」というのが甘いお汁の「ぜんざい」の語源であると言われています。

お釈迦さまから褒められた阿難はこの時どれほど嬉しかったことでしょう。

続いてお釈迦さまは言います。

「阿難よ、今からこの上なく尊い教えを説くから、よく心に留めて他の者にも説き伝えなさい」

そう言って説き始められたのが無量寿経です。

 お経は教えですから、こうしなさい、ああしなさいと普通は説かれるものです。ところが無量寿経は全く違いました。

阿弥陀如来がなぜ仏になったか、どのようにして仏になったか、どのようにして一切の衆生(生きとし生けるもの)を救うのか、と阿弥陀さまのことばかりが説かれたのです。

こうしなさい、ああしなさいとどれだけ言っても、満足にそれができない者がいる。徳を積まねばならないけど、その徳の「と」の字も分からない者がいる。その者をどうして放っておくことができましょうかと涙を流されたのが阿弥陀さまなのです。ただ涙を流すだけではありませんでした。「あなたが徳が積めないのなら、その徳すべてこの阿弥陀に積ませてください」と、兆載永劫という永遠と言っても過言ではないほどの途方もない時間をかけて、私が積まねばならないはずの徳を阿弥陀さまが全部積んでくださったというのです。その積み上げたすべての徳が今私に届けられたのが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのだ、と説かれたのです。

悟りを開けない阿難が、悟りを開けないままに救われる道が開かれた。もっと極端に言うと、凡人が凡人のままで救われる道が開かれた、それが無量寿経なのです。

 そしてお釈迦さまがこの無量寿経を説くべき相手に阿難を選ばれたというところにも大きな意味があります。

無量寿経を説く相手に、すでに悟りを開いた9人の聖者たちは適していません。このお経を説くのにふさわしい人は十大弟子の中でただ1人、悟りを開いていない阿難以外にはいなかったのです。

ただ、阿難にいつでも無量寿経を説けばいいわけではありません。阿難に、その教えを受け入れる準備が出来ていなければせっかく尊い教えを説いても意味がありません。だからお釈迦さまはずっと、阿難からの問いを待っていらっしゃったのです。そしてとうとう阿難の口から問いが発せられた時、いよいよ無量寿経を説くべき時がきたとお釈迦さまは微笑まれたのです。

阿難は全ての凡人を代表して生きとし生ける者が平等に救われる無量寿経を聞いたのです。

阿難がもし悟りを開いてしまっていたら、未来永劫凡人が救われる道は閉ざされていたでしょう。「阿難が悟りを開けなかった」というところに大きな大きな意味があったのです。

 私たちは誰しも、自分を認めてもらいたいという思いを持っているのだろうと思います。そのために「他人に見せられる自分」と「他人に見せられない自分」を使い分けて生活しています。

しかし、それでもし他人に認められたとしても、それは「他人に見せられる自分」が認められただけで「他人に見せられない自分」は認められていません。孤独とはその狭間に生じるものなのかもしれません。

「他人に見せられない自分」も無条件で抱いてくださる、生きていく上でこれより尊いことがあるでしょうか。まさにそのことを説いてくださったのが無量寿経なのです。

合  掌

(2020年7月3日 発行)