『車上荒らしもご縁でした』 読む法話 日常茶飯寺 vol.5

 私は8年前、車上荒らしに遭いました。そしてなんと驚くことに、その時私は車内にいたのです。私の知人でも車上荒らしに遭遇した方は何人かいますが、「車内にいたのに」というのは一度も聞いたことがありません。

被害に遭ってからしばらくは何となくショックで何をするにも上の空でしたが、今はある方のおかげで有り難いご縁だったと味わえるようになりました。今回は車上荒らしに遭った経験を通して仏法を味わってみたいと思います。

 それは2012年8月28日のことでした。岐阜県での布教の仕事を終え、久しぶりに再会した岐阜の友人とファミレスでコーヒーを飲みながら語らいました。気がつけば日付は変わり29日になっていました。

「また会おうな」

車の助手席の窓を少し開けて友人に別れを告げて、私は帰路につきました。

実り多き岐阜滞在での余韻に浸りながら高速道路を走っていましたが、京都あたりで眠気に襲われ京都の桂川パーキングエリアで車を停めて仮眠することにしました。時刻は午前4時頃でした。

疲れていたこともあり、すぐに眠りに落ちました。

ドーーーン!

 とてつもない音と衝撃を感じ、飛び起きました。その直後、バチバチバチバチ!という何か硬くて細かい物が車に降ってくるような音が聞こえて、最初は「雹が降ったのか!」と思い前方の窓を見ても何も降っていません。その時後ろから車が急発進するものすごい音が聞こえました。「追突されたのかな!?」と思い車の後部を見ますが何も異常ありません。おかしいなぁと思ってふと隣を見ました。え!?窓が無い…!!

あ!と思って助手席を見ると、そこに置いていたはずのカバンがありません。そこで初めてやられた!と思いました。助手席の窓ガラスは粉々に砕け散っていました。

5秒くらいの間に行われた犯行でした。寝起きの私が状況を把握するのにも5秒ほどかかったので気がついた時には犯人の車は跡形もありませんでした。

カバンの中には財布と鍵と腕時計とデジタルカメラが入っていました。

時計を見ると4時20分でした。「20分しか寝てへんやん…」と一瞬思いましたが、いやいやそれどころじゃない。とりあえず110番に電話して「たぶん今車上荒らしに遭いました…」と伝えました。

 しばらく待っていると警察の方が来られて色々と聞かれました。警察の方が言うには、その時私の車を含めて3台の車が被害に遭ったそうです。

聴取が終わって、さっさと帰ろうと思い車に乗りましたが、エンジンがかからない…。そう、車の鍵は盗まれたカバンの中なのです。

これはもうレッカー車に連れて帰ってもらうしかないと思いJ A Fに電話をしました。すると電話口の方が言いました。「レッカー車が今出払ってまして…そちらに到着するのがお昼過ぎになります。」

…耳を疑いました。

いやいや、いま朝の5時でっせ!と言うても仕方がありません。財布を失って一文無しの私にはレッカー車の到着を待つ以外の選択肢は無いのです。

 それからカード会社やら色んなところに電話をかけているうちに携帯電話の充電がなくなってきました。レッカー車を待っている身としては携帯の充電がなくなるのは困るので、食堂のおばちゃんに事情を説明してコンセントを使わせてもらおうと思い、充電器片手にお願いに行きました。

警察の方が私の聴取の後に監視カメラを見るために事務所へ行ったらしく、食堂のおばちゃんは全てを聞いて知ってくれていたのでコンセントの使用を快く承諾してくださいました。

有り難く充電をさせてもらいながら引き続きあちらこちらに電話をしていると、さっきのおばちゃんがこっちに近づいてきます。

「やっぱり他のお客さんもおられるし、コンセントはダメなんかな」

と思い片付けようとしていると、おばちゃんは電話中の私の前にそっとカツサンドと缶コーヒーを置いてそそくさと仕事場に戻って行かれました。電話を切って、私はすぐにおばちゃんにお礼を言いに行きました。するとおばちゃんは封筒を私に差し出すのです。「え?」と言って固まる私におばちゃんは言いました。

「お金がないとお家に帰れないでしょ?これで足りるか分からへんけど、使って。」と言ってくださったのです。

何度も何度もお礼を言いました。頭が上がりませんでした。

後で封筒の中を見てみると1万円札が入れられてありました。どこの誰かも、名前さえも知らない男に1万円を渡して、返ってくる保証なんて無いのに…。

そう思いながら頂いたカツサンドを少しかじると目から涙が溢れてきました。

本当に有り難いことでした。

 レッカー車が到着したのは午後1時30分頃でした。そこからレッカー車でたつの市まで送ってもらいました。

結局、もったいなくておばちゃんから渡された1万円を使うことはありませんでした。

後日、お借りしたお金とお礼の手紙とお菓子を持って桂川パーキングエリアに改めてお礼の気持ちを伝えに行きました。何度も何度もお礼を言って帰ってきました。

それから数日後、一通の手紙が届きました。

差出人は桂川パーキングエリアのおばちゃんでした。

そこには

「実は私も、あの日の少し前に出先で財布を失くしてとても困ったことがあったので、困っている貴方を他人事とは思えなくて」と書いてありました。

私の苦しみを知り、同じように胸を痛めてくださったからこその優しさであったことを知らされました。

今は亡き偉大な仏教学者の金子大栄先生がこんな言葉を遺されています。

「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけられる」

車上荒らしに遭ってから8年、今あの時のことを振り返って思います。

私はあの時何に救われたのか。1万円でもない、カツサンドでも缶コーヒーでもない、そのもっと奥にある、私の悲しみを知る悲しみ、私にそそがれる涙に救われたのだと腑に落ちた今、もはやあの車上荒らしに遭った経験は私の中で喜びでしかありません。

仏教は言います。「人生は苦なり」と。煩悩があるかぎり死ぬまで悩みは尽きないし、苦しみも絶えない。もしかしたら私たちは悩みが深ければ深いほど、心の傷が深ければ深いほど、きっと誰にも分かってもらえないと自分の殻に閉じこもるのかもしれません。けれども、その苦悩を知り、私にそそがれる涙に出遇えたなら、それまで抱いてきた苦悩が全く違うものに見えているに違いありません。

阿弥陀さまは私に何一つ条件を課しません。こうなったら救いましょう、ではなく、どんなあなたでも放ってはおけないというのが阿弥陀さまです。

桂川パーキングエリアのおばちゃんもそうでした。無一文でどこの誰かも分からない、身分の証明も出来ない裸一貫も同然の私に何の条件を課すこともなく、むしろ私の苦しみに同じように胸を痛め、ただただそそがれた温かい温かい慈悲の涙に私は救われたのです。

 阿弥陀さまも、この私の苦悩の人生を全て知り抜いた上で、「ああなれ、こうなれ」などとどうして言えましょうか。どうかそのまま私に救わせてくれよと私にそそがれた涙こそ「南無阿弥陀仏」の一声のお念仏でありました。

親鸞聖人の人生は苦難の連続でした。でも親鸞聖人はお念仏と共に、その人生を喜んで歩み抜かれたのでした。

おばちゃんには渡された1万円札とは別の1万円札を用意してお返ししました。あの時の1万円札は今も封筒に入ったまま大事に保管しています。

合  掌  

(2020年5月1日 発行)